100%の自分
自分のなかに違和感を抱える感覚ってありますね。
私も若い頃あったような気がします。
なんだか「本当の自分」で生きていない感覚。
そんな感じを持っているかたは、意外とたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
もちろん、そんな感覚を持ったことのない人もいるとは思います。
人と明るくしゃべっているけれど、そういう自分がなんだか不自然で疲れる。
あるいは逆に、こんなに黙り込んでいるけれど、本当の自分はそうじゃないのに、と思う人。
周りの人に立派だと言われるけれど、実は自分はそうではないと思う人。
なんだかいつも不完全燃焼している、何をやってもむなしいと感じる人。
きっとそういう人はたくさんいて、でも、どうしたらいいかわからない。
解消できるかと思って、仕事に邁進したりする。
とにかく行動してみて、何か起こるかもしれないと期待するけれど、結局変わらない。
お酒を飲んでみると、明るく、大胆になれるようで、これが本当の自分かもしれないと思ってみたりする。
あるいは、ギャンブルをしていると、生きている実感のようなものが得られる気がする。
だからのめりこんでしまったりする。
次々恋愛を繰り返し、その高揚感で生きている気がする。
自分に違和感を覚えるのには、様々な原因があります。
養育環境で、無邪気な自分を認めてもらえなかったとか、期待される役割が大きくてその型にはまろうと努力しすぎてしまったとか。
本来の自分でいることが許されなかったとか。
あるいは、自分に対する自分の理想があまりに過大だとか。
なんだか別の自分が心のどこかにいるような感じ。
自分自身が囲いのなかにいるような感じ。
ここから解放されるのは絶望的と思う時期があると思います。
でも大丈夫です。
私は解放されましたから。
もちろんそれを一言では語れません。
ただ、多分その方法は、自分の「違和感」をどうにかすることではないようです。
むしろ、自分のなかの違和感も、困った性格も、依存的なところも、全部ひっくるめて100%の自分をひとまず見るところから始まるような気がします。
困った自分やどんよりした自分、いつも不全感を抱えている自分を、そこだけ治し、自分のなかから排除するという考え方では、永遠に広い世界にたどりつけない。
そしてまた、不完全でどんよりした憂鬱な自分を、自分自身の心の底から抱えることができるとき、不思議なことにその違和感は消えていくのです。
それがいわゆる「逆説」であり、森田療法で言う「あるがまま」の体験なのです。
私も若い頃あったような気がします。
なんだか「本当の自分」で生きていない感覚。
そんな感じを持っているかたは、意外とたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?
もちろん、そんな感覚を持ったことのない人もいるとは思います。
人と明るくしゃべっているけれど、そういう自分がなんだか不自然で疲れる。
あるいは逆に、こんなに黙り込んでいるけれど、本当の自分はそうじゃないのに、と思う人。
周りの人に立派だと言われるけれど、実は自分はそうではないと思う人。
なんだかいつも不完全燃焼している、何をやってもむなしいと感じる人。
きっとそういう人はたくさんいて、でも、どうしたらいいかわからない。
解消できるかと思って、仕事に邁進したりする。
とにかく行動してみて、何か起こるかもしれないと期待するけれど、結局変わらない。
お酒を飲んでみると、明るく、大胆になれるようで、これが本当の自分かもしれないと思ってみたりする。
あるいは、ギャンブルをしていると、生きている実感のようなものが得られる気がする。
だからのめりこんでしまったりする。
次々恋愛を繰り返し、その高揚感で生きている気がする。
自分に違和感を覚えるのには、様々な原因があります。
養育環境で、無邪気な自分を認めてもらえなかったとか、期待される役割が大きくてその型にはまろうと努力しすぎてしまったとか。
本来の自分でいることが許されなかったとか。
あるいは、自分に対する自分の理想があまりに過大だとか。
なんだか別の自分が心のどこかにいるような感じ。
自分自身が囲いのなかにいるような感じ。
ここから解放されるのは絶望的と思う時期があると思います。
でも大丈夫です。
私は解放されましたから。
もちろんそれを一言では語れません。
ただ、多分その方法は、自分の「違和感」をどうにかすることではないようです。
むしろ、自分のなかの違和感も、困った性格も、依存的なところも、全部ひっくるめて100%の自分をひとまず見るところから始まるような気がします。
困った自分やどんよりした自分、いつも不全感を抱えている自分を、そこだけ治し、自分のなかから排除するという考え方では、永遠に広い世界にたどりつけない。
そしてまた、不完全でどんよりした憂鬱な自分を、自分自身の心の底から抱えることができるとき、不思議なことにその違和感は消えていくのです。
それがいわゆる「逆説」であり、森田療法で言う「あるがまま」の体験なのです。
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