森田正馬没後80年記念行事(3)
さて、実は墓前祭の始まる前に、野市の森田先生の生家と墓地とを訪問したのです。
今回の墓前祭、講演会のテーマのひとつに、森田の生まれ育った家の保存ということがありました。
これは本当に意義のあることです。
森田先生にまつわる東京の家とか診療所とかは、すべて無くなってしまっています。
残っているのは、この野市にある家と墓地のみ。
この家がなくなったら、お墓しかありません。
一時はこの家は、不登校の子たちのための施設として利用されていて「森田村塾」と名付けられていました。
その頃は人が出入りしていたので、お庭も手入れされていたのですが、このごろ荒れているという噂も聞きました。
でも、市のほうが保存に乗り出してくれているようで、少し安心しました。
下の写真は、私が2003年に行った時の全景です。
木がよく手入れされているのがわかります。
今回は外から写真を撮っただけです。
次の日の生家訪問ツアーには行けませんでした。
2003年と同じようには撮れませんでしたが。
庭木の手入れが今一つ・・・
この家の端には、高良先生揮毫の「森田生馬生誕の地」の碑があります。
下は今回撮影のもの。
やはり微妙に変わっていますが、でもよく保存されていますよね。
そして、これが森田家の門。
もう何千人ものファンのかたが、この門の前で記念写真を撮ったでしょうね。
私も行くたびに同行の人たちと一緒に撮っております。
2003年には、この門の前に森田村塾という看板がかかっていました。
「森田生家の保存を願う会」も発足し活動しています。
古いものをなんでもかんでもこわしてしまうという風潮の今の日本。
この森田生家だけでも、そのままの形でのこしてほしいものです。
森田正馬生家保存を願う会
次はお墓の話です。
今回の墓前祭、講演会のテーマのひとつに、森田の生まれ育った家の保存ということがありました。
これは本当に意義のあることです。
森田先生にまつわる東京の家とか診療所とかは、すべて無くなってしまっています。
残っているのは、この野市にある家と墓地のみ。
この家がなくなったら、お墓しかありません。
一時はこの家は、不登校の子たちのための施設として利用されていて「森田村塾」と名付けられていました。
その頃は人が出入りしていたので、お庭も手入れされていたのですが、このごろ荒れているという噂も聞きました。
でも、市のほうが保存に乗り出してくれているようで、少し安心しました。
下の写真は、私が2003年に行った時の全景です。
木がよく手入れされているのがわかります。
森田生家2003年
今回は外から写真を撮っただけです。
次の日の生家訪問ツアーには行けませんでした。
2003年と同じようには撮れませんでしたが。
庭木の手入れが今一つ・・・
この家の端には、高良先生揮毫の「森田生馬生誕の地」の碑があります。
下は今回撮影のもの。
やはり微妙に変わっていますが、でもよく保存されていますよね。
そして、これが森田家の門。
もう何千人ものファンのかたが、この門の前で記念写真を撮ったでしょうね。
私も行くたびに同行の人たちと一緒に撮っております。
2003年には、この門の前に森田村塾という看板がかかっていました。
「森田生家の保存を願う会」も発足し活動しています。
古いものをなんでもかんでもこわしてしまうという風潮の今の日本。
この森田生家だけでも、そのままの形でのこしてほしいものです。
森田正馬生家保存を願う会
次はお墓の話です。