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「かくあるべし」で疲労困憊

ご相談にいらっしゃるかたのお話を聞いていると、時々、「そこまできちんとやらなくてもいいのになぁ」と感じることがあります。

特に家事をまかされている主婦のかたに、そんな感じを持ちます。
家事には終わりも基準もありませんから、やろうと思えばいくらでもていねいにできるものです。

それに神経質的な「かくあるべし」が加わると、「必ず~しなくてはならない」「主婦としてこれははずせない」という感じで、誰も頼んでいないのに、自分の頭のなかで考えたパーフェクトな家事スケジュールをこなしてしまう。
そうすると、自分のなかで「やった!」という感じがして気持ちよい部分もあるのかもしれません。

ところがそれをやり続けると、母親がこれだけやってくれるものという観念が、家族の「当たり前」になり、母親に当然のことのように頼るようになる。
家事はますます大変になる。
疲労困憊してしまいます。

若いうちならいいのですが、歳をとると、限界がやってきます。
夫は定年退職できても、妻の家事には定年がありません。
かえって、夫の食事を三食用意しなくてはならなくて、悲鳴をあげるということが起きてきます。

「こうしなければならない」という完全主義は、ただ苦行のように達成を目指すだけのものではなく、そのなかに「達成できたときのスッキリ感、充実感」をねらう気持ちがあります。

「やった!」という快感ですね。

しかし、他の人の家事のことだと「そこまでやらなくても」と思えるのに、自分を振り返ると、私にもそういう完全主義があって、それは仕事に対して発揮されます。
しかし家事にはまったく発揮できないので、きっとこれは各々の価値観のあるところに出てくるのでしょうね。

自分では「かくあるべし」だと思っていない。
むしろ「これくらいやるのは当たり前でしょ」ぐらいに思っている。
ところが、あとになって自分の仕事を振り返ってみると、「あそこまで時間かけてこの程度?」と思うことが多いのです。

そんなふうに一生懸命になるのは、あるいは安心したいのかもしれません。
誰からも批判されたくない、などという「不可能」を目指している部分もあるかと思います。

でも、批判されようが、他人からどう言われようが、私は私。
今、この時点でできることはこの程度でしかない。
妥当な批判は受けるし、不当な批判は無視すればいいだけです。

森田の言葉のなかには「完全欲はますます発揮したほうがいい」という趣旨のものがあります。

ただ、これは自分の気分をすっきりさせるための完全欲や、現実を無視した完全欲ではありません。

あくまでも「現実にそった」「自分の実際の能力にそった」完全欲であって、理想の状態をつくるためのものではありません。

今、「やらなければならない」と思っていることは、現実の世界で本当に必要なことでしょうか?
自分の気分や他人の視線を気にした「かくあるべし」ではないでしょうか?

一度、自分の仕事ぶりを振り返ってみることが、もっと「自分を大切にした生き方」へと通じていくかもしれません。

ひまわり

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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