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自分を欺くことと自分を知ること

私は、自分がかつて書いた記事などを忘れてしまうことが多く、手元に持っていないことがあります。

先般、高知の墓前祭で出会ったかたが、私の15年前(!)に「生活の発見」に書いた記事を読んでいると言ってくださいました。
どうもその記事をとっておいた記憶がないので、ご無理を言って送っていただきました。

なんと彼女は、自分のものが赤線だらけなので、書き込みのないものを持っている知り合いを探し、それをコピーして送ってくれたのです。
本当にありがたいことです。

で、自分で読み返してみて、「あら、今読んでも全然通用するわ」と思った次第。
今よりも書き方が少しストレート。
オブラートに包んでいません。

以下、自分の気に入っているところを少しだけ抜粋し、下記します。

「とにかく私たちは『他人の視線』あるいは『自分を裁く自分の視線』という鏡を前に、自分のなりたい人間を演じてしまうことが多いのです。けれど、鏡に映らない自分のほうが人の目に触れる機会は多いのです。私たちは、鏡に映した部分がきれいであれば、映らない部分もきれいだと思いたいのでしょう。無防備な部分は自分にはないと思いたいし、周囲だって自分の把握できるものであってほしいのです。

 ところが、そんな思惑はたいていの場合、無駄です。なぜかといえば、他人から見たら、『私』はいつも『私の全体』だからなのです。他の人は一生懸命化粧したところだけ見てくれているわけではありません。どんなに飾っても、装っても、偽っても、『私』は『私の見られたい私』ではなく、私の気づかない部分も含めた『私の全体』として見られているのです。

 つまり、私たちが『あるがままであろう』などと努力しなくても、他人にとっては、私は『あるがまま』の私なのです。
 そして、なによりも一番大切にしなければならない認識は、その『私の全体』のほうが、磨き上げ、飾り上げた『私の部分』より、ずっと魅力的だということなのです。」
「自欺(自分を欺くこと)と自覚(自分を知ること)」より

この文章の副題は「自分の自然にまかせよう」です。

確かに「人に良く思われよう」とあえて努力することをしなくなると、生きていることが本当に楽になります。

「あえて」と書いたのは、周囲の状況に応じて、私たちはそれなりにふるまうので、人によく思われようとすることだってあります。
そういう自分は許してあげる。

こういう文章を読むと、逆に、わざと「人によく思われようとしない」ようにしようとする人もいるからです。

うろたえるのも自然、驚くのも自然、恥ずかしいのも自然。
そんな自然な自分は、ちっとも恥ずかしいものではないのです。

*ご来室のかたで希望者にはこのコピーをお渡ししています。ご希望のかたはお申し出ください。

紅葉

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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