思春期はこわれもの
「荒野へ」という本を読みました。
1996年に、ジョン・クラカワ―という人が書いたノンフィクションです。
なぜ読もうと思ったかというと、とある思春期のかたが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画のことを教えてくれたからです。
ロードムービ―好きの私は早速DVDを見てみました。
2007年の映画で監督はショーン・ペン。
そしてこれが実話だと知り、すぐに原作を読んでみました。
何しろ私は「この物語は事実にもとづいています」という決まり文句にすごく弱い。
すぐに原作本を探して読みたくなります。
この作品の主人公、クリストファー・マッカンドレスは、1992年アラスカの荒野の捨てられたバスのなかで死体となって発見されます。24歳、死因は餓死でした。
彼はその2年前大学を卒業したあと、アメリカ放浪の旅に出ます。所持金を燃やし、車を捨て、ヒッチハイクでアメリカを放浪します。そして目的の地、アラスカで生活することを夢みて、捨てられたバスのなかに住みつきますが、結局生還できずそこで死んでしまいます。
家族は彼が死んで報道されるまで、彼がどこにいたか手がかりもつかめず混乱していました。
この事件は当時、アメリカで大きな話題になったようです。賛否両論があったようです。その事件をとりあげ、登山家のクラカワ―が、クリスの足跡を追ってノンフィクションを書いたという経緯です。
私がこの映画を見、物語を読んで感じたのは、「実に思春期だなぁ」ということ。
クリスは読書家で、トルストイやソローを読み、その思想に心酔していました。
言うまでもなくこの作家たちは皆、理想主義者です。トルストイは自分の財産や印税を疎ましく思い、それを拒否しようとした清貧の人でした。
クリスが最小限のものだけ持って放浪したというのも、そんな理想に共感したからでしょう。
そしてそんな理想を胸に放浪するクリスは、アメリカの圧倒的な自然美を次々と目にし、所有欲とは縁遠い生活をする人たちと出会って影響し、影響されていったのです。
思春期をとうに卒業した人たちは、彼の行動を「無謀」と言い、「家族のことや自分の命を大切にしなかった」「自然を甘く見ていた」と言うでしょう。
しかし思春期とは、そういう時代なのだと私は思います。
何かの「理想」に共鳴したら、それが現実化できるものと思い、それを目指そうとする。
理想とは遠い現実には醜さを感じ、怒りを感じ、なるべくそこから遠ざかろうとする。
クリスも家族に対して怒りを感じていたようです。父親は努力して成功した人でしたが、重婚をしていた時期がありました。
幼年期、そして思春期は、脆さを抱えている時期です。
脳だって、まだ発達途上です。
この時期の情緒的トラウマは、時として精神的な病気の遠因となったりします。(断っておきますが、素質もありますので必ずそうなるというわけではありません)
だからといって、どうすればいいのかということは、簡単には言えません。
しかし、思春期がそういう時代だと知っておくことは、大事なのではないでしょうか。
知性は十分発達しているけれど、経験は少ない。
そんなときに、家庭内の不和や親の過剰な支配、学校でのいじめを経験したら、それはその人の後の人生に大きな刻印となるであろうことは、予想できます。
しかし、思春期は美しく、詩的で新鮮な発想の宝庫でもあります。
キラキラした音楽や詩や芸術が思春期の感性から生まれてきます。
それは脆弱で感じやすい時期だからこそ生まれてくるもの。
そんなふうに美しく、それでいて脆い「こわれもの」の青年たちをしっかり守る環境を私たちは作れているのでしょうか。
クリスは、自分の家庭を嫌って「自然」に抱かれようと放浪した。
でもその自然はNature ではなく Wild(荒野)だったんですね。


1996年に、ジョン・クラカワ―という人が書いたノンフィクションです。
なぜ読もうと思ったかというと、とある思春期のかたが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画のことを教えてくれたからです。
ロードムービ―好きの私は早速DVDを見てみました。
2007年の映画で監督はショーン・ペン。
そしてこれが実話だと知り、すぐに原作を読んでみました。
何しろ私は「この物語は事実にもとづいています」という決まり文句にすごく弱い。
すぐに原作本を探して読みたくなります。
この作品の主人公、クリストファー・マッカンドレスは、1992年アラスカの荒野の捨てられたバスのなかで死体となって発見されます。24歳、死因は餓死でした。
彼はその2年前大学を卒業したあと、アメリカ放浪の旅に出ます。所持金を燃やし、車を捨て、ヒッチハイクでアメリカを放浪します。そして目的の地、アラスカで生活することを夢みて、捨てられたバスのなかに住みつきますが、結局生還できずそこで死んでしまいます。
家族は彼が死んで報道されるまで、彼がどこにいたか手がかりもつかめず混乱していました。
この事件は当時、アメリカで大きな話題になったようです。賛否両論があったようです。その事件をとりあげ、登山家のクラカワ―が、クリスの足跡を追ってノンフィクションを書いたという経緯です。
私がこの映画を見、物語を読んで感じたのは、「実に思春期だなぁ」ということ。
クリスは読書家で、トルストイやソローを読み、その思想に心酔していました。
言うまでもなくこの作家たちは皆、理想主義者です。トルストイは自分の財産や印税を疎ましく思い、それを拒否しようとした清貧の人でした。
クリスが最小限のものだけ持って放浪したというのも、そんな理想に共感したからでしょう。
そしてそんな理想を胸に放浪するクリスは、アメリカの圧倒的な自然美を次々と目にし、所有欲とは縁遠い生活をする人たちと出会って影響し、影響されていったのです。
思春期をとうに卒業した人たちは、彼の行動を「無謀」と言い、「家族のことや自分の命を大切にしなかった」「自然を甘く見ていた」と言うでしょう。
しかし思春期とは、そういう時代なのだと私は思います。
何かの「理想」に共鳴したら、それが現実化できるものと思い、それを目指そうとする。
理想とは遠い現実には醜さを感じ、怒りを感じ、なるべくそこから遠ざかろうとする。
クリスも家族に対して怒りを感じていたようです。父親は努力して成功した人でしたが、重婚をしていた時期がありました。
幼年期、そして思春期は、脆さを抱えている時期です。
脳だって、まだ発達途上です。
この時期の情緒的トラウマは、時として精神的な病気の遠因となったりします。(断っておきますが、素質もありますので必ずそうなるというわけではありません)
だからといって、どうすればいいのかということは、簡単には言えません。
しかし、思春期がそういう時代だと知っておくことは、大事なのではないでしょうか。
知性は十分発達しているけれど、経験は少ない。
そんなときに、家庭内の不和や親の過剰な支配、学校でのいじめを経験したら、それはその人の後の人生に大きな刻印となるであろうことは、予想できます。
しかし、思春期は美しく、詩的で新鮮な発想の宝庫でもあります。
キラキラした音楽や詩や芸術が思春期の感性から生まれてきます。
それは脆弱で感じやすい時期だからこそ生まれてくるもの。
そんなふうに美しく、それでいて脆い「こわれもの」の青年たちをしっかり守る環境を私たちは作れているのでしょうか。
クリスは、自分の家庭を嫌って「自然」に抱かれようと放浪した。
でもその自然はNature ではなく Wild(荒野)だったんですね。