今年の桜
また桜満開の季節になってきました。
毎年のことながら、気持ちのいい眺めです。(花粉症さえなければ!)
今年はどこに花を眺めに行こうか、考えています。
東京には桜の名所がたくさんあり、住んでいながら意外と行ったことのないところも多いのです。
いつものところではなく、初めて行くところ。
そういう行動を心がけています。
ただ遊びに行くのですから、繰り返しより新しい場所のほうが面白い。
しかしどうも、行ったことのある場所だと安心感があって、繰り返してしまう傾向があります。
この安心だから繰り返すという傾向は、ちょっとくせものです。
安心だから同じことを繰り返して、なかなか新しいことに目が向かない。
冒険ができない、ということだけではなく、繰り返しのなかに浸ってしまって、そこから出ようとしない。
外に出なければ、新しいことには出会わないけれど、何か安定した気持ちでいられる。
こういう気持ちは、神経症やアディクションの基底にあるものではないでしょうか。
神経症やアディクション真っ最中のかたは、いろいろな経験をしていないし、新しい経験に対して臆病というところがありそうです。
もちろん、様々な経験をしているかたもいらっしゃいます。
でも、神経症的な状態になると、あまり動きが無くなる場合が多いようです。
そもそも他のことに好奇心がなくなる。
こんなこともやってみたいとか、あれは楽しいだろうとかいう外に向かう気持ちが薄くなってくるのです。
それよりも、心の底では外の世界に何か怖さのようなものを感じてしまう。
だからアディクションと呼ばれる同じ行為を繰り返し、あるいは強迫的に悩んだまま何年も過ごしてしまう。
きっと、そういう安住傾向を抜け出すには、ほんの少しの新しいことを始めるだけでいいのでしょう。
大抵の人には好奇心というものがあります。
それは、新しいことに触れるたびに活性化されて、どんどんふくらんできます。
そうすれば、元の場所に戻るのがあまりにも味気なく感じられる。
もっともっといろいろなことをしてみたい。いろいろな人に会ってみたい。行ったことのない場所に行ってみたい。
満開の桜に誘われて、どこかへふらりと出かけてみるには良い季節です。
1人だって大丈夫。
周りの人は花を見ているのですから、誰もあなたを見てどうこうは言いません。
さて、今年はどこに行きましょう。
早くしないと葉桜になってしまいます。
毎年のことながら、気持ちのいい眺めです。(花粉症さえなければ!)
今年はどこに花を眺めに行こうか、考えています。
東京には桜の名所がたくさんあり、住んでいながら意外と行ったことのないところも多いのです。
いつものところではなく、初めて行くところ。
そういう行動を心がけています。
ただ遊びに行くのですから、繰り返しより新しい場所のほうが面白い。
しかしどうも、行ったことのある場所だと安心感があって、繰り返してしまう傾向があります。
この安心だから繰り返すという傾向は、ちょっとくせものです。
安心だから同じことを繰り返して、なかなか新しいことに目が向かない。
冒険ができない、ということだけではなく、繰り返しのなかに浸ってしまって、そこから出ようとしない。
外に出なければ、新しいことには出会わないけれど、何か安定した気持ちでいられる。
こういう気持ちは、神経症やアディクションの基底にあるものではないでしょうか。
神経症やアディクション真っ最中のかたは、いろいろな経験をしていないし、新しい経験に対して臆病というところがありそうです。
もちろん、様々な経験をしているかたもいらっしゃいます。
でも、神経症的な状態になると、あまり動きが無くなる場合が多いようです。
そもそも他のことに好奇心がなくなる。
こんなこともやってみたいとか、あれは楽しいだろうとかいう外に向かう気持ちが薄くなってくるのです。
それよりも、心の底では外の世界に何か怖さのようなものを感じてしまう。
だからアディクションと呼ばれる同じ行為を繰り返し、あるいは強迫的に悩んだまま何年も過ごしてしまう。
きっと、そういう安住傾向を抜け出すには、ほんの少しの新しいことを始めるだけでいいのでしょう。
大抵の人には好奇心というものがあります。
それは、新しいことに触れるたびに活性化されて、どんどんふくらんできます。
そうすれば、元の場所に戻るのがあまりにも味気なく感じられる。
もっともっといろいろなことをしてみたい。いろいろな人に会ってみたい。行ったことのない場所に行ってみたい。
満開の桜に誘われて、どこかへふらりと出かけてみるには良い季節です。
1人だって大丈夫。
周りの人は花を見ているのですから、誰もあなたを見てどうこうは言いません。
さて、今年はどこに行きましょう。
早くしないと葉桜になってしまいます。