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苦楽共存

森田正馬の言葉を読んでいて、面白いと思うのは、「~しなさい」というような直接的な指示があまりないことです。

つまり、抽象的なことを言う場合が少ない。
何かをしなさいと言うときは、かなり具体的です。

そして自分の状態などを、たとえにして表現することはあるけれど、「だからこういうふうにしなさい」とは、言わない。

例をあげれば、森田療法では、あまり「感謝」とか「愛」とかの言葉は使わない。
でも、森田正馬自身は、自分の事実として感謝や愛を語っています。
だからと言って、宗教家みたいに「感謝しましょう」とか「人を愛しなさい」とは決して言わない。
そこが非常に面白いところだと、私は思っています。

「私のユートピアは、今度の私の旅行(熊本行)における心境のように、その時どきの現在における感謝と希望との幸福感の体験であるのである。この故に私は病気の時でも、登山の苦痛の時でも、希望の蹉跌した時でも、私のユートピアがあるのである。「苦楽共存」という言葉があるが、苦楽は「あざなえる縄のごとし」ともいい、互いに関連して、取り離すことはできないものである。否それよりも苦楽は、同一事の両面の見方であるといったほうがよいと思う」(全集5巻 168頁)

「苦楽共存」。ここで私は、水が半分入ったコップをイメージしてしまいました。

なぜかわかりませんが、神経症のかたがたは、すごく悲観的ですね。
コップに水が半分あれば、必ずなくなったもう半分の水を惜しむようです。
まだ残っているほうは見ない。

ものごとはすべて「中立」で、その人の見方や扱い方によって悲劇にも幸福にもなる。
ここで森田の言っていることはそういうことです。

どうも症状真っ最中のかたは、残っている水に感謝することをあまりしないようです。

実は本当はすごく恵まれているかもしれない。
これだけ症状が重くても、なんとか生活することができる。
たとえば、ひきこもりの息子がいたとしても、生きていてくれることに「ありがとう」と感じることもあってもいい。
仕事がなくても、いろいろな補助で生きていける。
病気でも、治療のおかげで、まだ活動することができる。

いろいろなところに「まだ残っている水」を探すことができるでしょう。

今までの森田療法ではあまりそんな考え方をしろとは言われません。
「こうしろ」というと、それが「思想の矛盾」や「教条」になってしまうので、その点は非常に注意深くしなくてはいけないのです。

でも森田正馬は、自分のことを話し、自分の事実をひとつの見本にした人です。
「こうしろ」とはあまり言わなかったけれど、彼の態度を見て学んでほしかったのだと思います。

そう考えると、森田正馬から学べることは、まだまだたくさんありそうです。

この「苦楽共存」。
あまりにも自分の思考が暗い方に傾いたときは、コップに残っているもう半分の水に感謝することも、元気を取り戻すひとつのヒントになるかもしれません。


神田祭り 
神田明神のお祭りに行きました。この巨大な像は誰なんでしょう? 
平将門?
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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