障がい者差別解消法に思う
またしてもしばらくブログから離れてしまいました。
でも、離れている間に社会では面白い出来事がありました。
参議院議員として重度障がいをお持ちのかた二人が選出されました。
なかなかよい発想ですね。
国民のなかには、いろいろな人がいて、様々な障がいや生きづらさを抱えている人がいる。
そういう人たちの代表が国会に行って意見を述べる機会ができたのは当然の流れと言っていいことです。
(そのうち、ひきこもりの代表も行けばいいと思う)
もうひとつ面白いと思えるのは(私が勝手に面白いと思っているだけなのですが)彼らが発言するときに、障がいに関わるヤジを飛ばしたら、国会議員としてレッドカードだと思うので、国会が、ある種リトマス試験紙的な場になるとも思うのです。
さて、無知な政治家が「国会の改修にあんなにお金を使うなんて」という発言をしていたようですが、これもレッドカードです。
日本には、「障がい者差別解消法」という法律があり、「合理的配慮」ということがうたわれています。
「合理的配慮」とは、ひらたく言えば、「障がいのある人が社会的障壁の除去を必要としているとき、それが過度な負担でない限り、障壁をなくす個別の対応や支援をする」ということです。
そして「公的機関、行政機関」の場合、これは「義務」なのですね。
一般の企業などの場合は、今のところ「努力義務」です。
ですから、国会は当然のことながら、彼らのための改修をすることが義務なのです。
最近の勉強(汗)で感じたことは、結構日本の法律は整備されている(あるいは整備されつつある)のだということです。
政治家がちゃんと把握しているかどうかは知りませんが。
法律のことには疎かった私・・・。
当たり前のことかもしれませんが、法体系のなかで、もっとも優先されるのは「憲法」。
次が「条約」。次が国内法。
この「障がい者差別解消法」も、国連の「障がい者権利条約」に2007年に日本が署名してから整備されました。
その他にも社会的に弱い立場の人たちの権利を擁護する法律はたくさんあります。
DVの被害者(男性も女性も)を保護する「配偶者暴力防止法」とか、「児童虐待等の防止に関する法律」などです。
知っているというのは、大切なことです。
法律で保護されているということ、助けてくれる行政機関や相談機関があるということ、それを伝えていくのも、知っている人の義務なのかなと思います。
誰だって、いつなんどき障がい者になるかわからない。
いつなんどき、弱い立場になるかわからない。
人間なんてそんなもの。
だから「共助」ということが社会には必要なんですよね。
でも、離れている間に社会では面白い出来事がありました。
参議院議員として重度障がいをお持ちのかた二人が選出されました。
なかなかよい発想ですね。
国民のなかには、いろいろな人がいて、様々な障がいや生きづらさを抱えている人がいる。
そういう人たちの代表が国会に行って意見を述べる機会ができたのは当然の流れと言っていいことです。
(そのうち、ひきこもりの代表も行けばいいと思う)
もうひとつ面白いと思えるのは(私が勝手に面白いと思っているだけなのですが)彼らが発言するときに、障がいに関わるヤジを飛ばしたら、国会議員としてレッドカードだと思うので、国会が、ある種リトマス試験紙的な場になるとも思うのです。
さて、無知な政治家が「国会の改修にあんなにお金を使うなんて」という発言をしていたようですが、これもレッドカードです。
日本には、「障がい者差別解消法」という法律があり、「合理的配慮」ということがうたわれています。
「合理的配慮」とは、ひらたく言えば、「障がいのある人が社会的障壁の除去を必要としているとき、それが過度な負担でない限り、障壁をなくす個別の対応や支援をする」ということです。
そして「公的機関、行政機関」の場合、これは「義務」なのですね。
一般の企業などの場合は、今のところ「努力義務」です。
ですから、国会は当然のことながら、彼らのための改修をすることが義務なのです。
最近の勉強(汗)で感じたことは、結構日本の法律は整備されている(あるいは整備されつつある)のだということです。
政治家がちゃんと把握しているかどうかは知りませんが。
法律のことには疎かった私・・・。
当たり前のことかもしれませんが、法体系のなかで、もっとも優先されるのは「憲法」。
次が「条約」。次が国内法。
この「障がい者差別解消法」も、国連の「障がい者権利条約」に2007年に日本が署名してから整備されました。
その他にも社会的に弱い立場の人たちの権利を擁護する法律はたくさんあります。
DVの被害者(男性も女性も)を保護する「配偶者暴力防止法」とか、「児童虐待等の防止に関する法律」などです。
知っているというのは、大切なことです。
法律で保護されているということ、助けてくれる行政機関や相談機関があるということ、それを伝えていくのも、知っている人の義務なのかなと思います。
誰だって、いつなんどき障がい者になるかわからない。
いつなんどき、弱い立場になるかわからない。
人間なんてそんなもの。
だから「共助」ということが社会には必要なんですよね。