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「どうしたらいい?」の謎

遥か昔の話です。
森田療法の学習団体「生活の発見会」で、とある高名な心理学の先生をお招きして講演を伺ったことがあります。
そのかたは、森田療法家ではなく、女性のかたでした。

お話が終わったあと、質問の時間になり、会場からは質問が結構出ました。
ところがその質問が、ほとんど「どうしたら治りますか?」「どうしたら○○な状態になれますか?」「どうしたら・・・?」という形のものばかりだったのです。

温厚な先生でしたが、あまりにそういう質問が続くので、最後は明らかにイラッとした感じになり、「皆さんは、どうしてそんなに簡単な解決法ばかり望むのでしょう」というようなことをおっしゃいました。(正確な言葉は覚えていませんが)
じっくりと時間をかけて対話をし、自分を見つめていくというカウンセリングの定石を熟知し実践なさっているかただからこそ、いつもと違う反応に面食らったのかもしれません。

帰りにお見送りする役目だった私は、その先生と一緒にエレベーターに乗りましたが、先生は「私としたことが、つい・・・」と、ご自身の発言を恥じていらっしゃいました。
無理もないことです。
神経症(不安障害)の人と、あまりお会いになったことがない人は、「どうしたら?」という質問を浴びせられたこともない。
きっと意味がわからなかったと思うのです。

しかしこの「どうしたら治りますか?」という質問は、神経症のかたに特徴的な質問です。
カウンセリングにいらっしゃる他の悩みのかたがたは、「どうしたら?」というよりむしろ、「どうしてこんなふうになってしまったのでしょう」的な質問をすることが多いようです。

私自身、この違いをはっきりとわかっているわけでもないのですが、「どうして?」という質問には悩んでいる主体である「私」が含まれているような感じがします。
一方「どうしたら?」という質問は、症状を何か「おでき」とか「異物」のように思っているニュアンスがあります。

この苦しみは「病気」あるいは「異常」だから、治すべきものだというような感じです。
そして、何かの「方法」を適用すれば、この異物が取り除けると信じているきらいがあります。
それだけ苦しいのだということも理解できますが。

このような思考方法が、いわゆる「症状」を作り上げ、悪化させるものであることは、森田療法をよくご存じのかたには、おわかりと思います。

いわゆる「症状」や「不快感」を「どうにかして」取り去ろうとすること自体が、症状の原因でもあるわけです。

それにこの言葉は、神経症の人たちの功利性を表しているかもしれません。
じっくり自分を見つめるというより、最短コースで楽になりたい、そういう表現であるかもしれません。

「どうしたら?」はまた、神経症の人たちのコントロール欲求を如実に表しています。
コントロール欲求は、自然なもので、悪いわけではないのですが、それが向かう対象がコントロール不能なものである場合、空回りの悪循環になってしまいます。

つまり、(急に結論に入ってしまいますが)このコントロール欲求が、コントロール可能なものに向かい始めた時に、不可能なものに向かって空回りして「症状」になっていたものから解き放される。

「どうしたらいいんですか?」という質問は、自分の行動や仕事のやりかた、遊び方、楽しみ方、人とのコミュニケーションのしかたのほうに向かえばいいのではないでしょうか?

おせっかいですが、コントロール不可能なもののなかには「他人」も入ります。
そのあたりはお気をつけて。

ラクア

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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