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努力ができない、続けられない

時々、神経質のかたから「努力ができない」「物事を続けられない」というぼやきを聞くことがあります。
ちょっと不思議な気がします。
神経質って地道に粘り強く努力する人たちじゃなかったの?

しかし、思い当たることもあります。
たとえば時々日記指導をすることがあります。
ここで、神経質のかたと他の性格のかたとは、少し傾向が分かれます。
神経質のかたでも、続けることができる熱心なかたもいらっしゃいますが、最初で挫折してしまうかたが、結構多いようです。
他の性格のかたは、ずっとずっと粘り強く続けるかたが多い。

けれど、何事も続けられないのかというと、少し違う。
集談会など、500回を数えるほど毎月、何年も続いているのは、神経質の集団ぐらいではないでしょうか。

これは一体何なんでしょう?
面白い傾向と思って折に触れ、考えていました。

前回のブログに書いたように、神経質のかたは何事も「やらなければならない」に変換してしまう傾向がある。
たとえば「今度英語の勉強を始めよう」と思い、最初はワクワクしながら机に向かってみたり、参考書を買ったりします。
ところが、そのうちそれが「しなければならないこと」に変換されて、苦痛になってくるのです。

ただ淡々とこなしていくというより、「あぁ、またやらなければならない。嫌だ」という感じになってくるのです。
やり始めてしまえば、それはそれで面白いと感じるのですが、手をつける前の「いやな感じ」「面倒臭さ」に過敏で、それに非常にとらわれるようです。

そのため、意外と三日坊主の人が多い。
ところがその対極に、粘り強い人もいるのです。
どこに差があるのでしょう?

この頃気づいたのは、その「やること」を「習慣」にしてしまえば、神経質の人はずっと続けることができる。
結果的に「粘り強い人」になるのです。

神経症にあれだけ長いこと悩むのですから、粘り強くないはずがない。

いやだと感じているその「やるべきこと」を生活のなかに組み込んでしまえばいいのです。
食後に食器を洗うのと同じように、毎晩決まった時間にお風呂に入るのと同じように、そのやりたいことを生活の流れのなかに組み込んでしまう。
そうすると、妙な言い方ですが「変化を嫌う」ということが良い方向に働いて、淡々と持続することができるのです。

ですから会合を毎月開催していくということも、スケジュールのなかに組み込まれてしまえば、少しのイヤさはあっても、「当然やること」に変化しているので、続いていくのです。

毎日必ずこの時間にはこれをやる。
それがあたりまえの習慣になったら、省略することのほうに気持ちの悪さを感じるようになる。

神経質者がなかなか持続できなかったり、対照的に信じられないほど粘り強かったりするのは、こんな微妙な面があるのですね。

今年のブログはこれで最後です。
私ももう少しブログを習慣化しないといけませんね。

コロナに悩まされた一年でしたが、来年は良い年になるといいですね!

イルミ
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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