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行動が可能性を開く


この言葉を書いた色紙をずっと家に飾ってあります。
これは、生活の発見会の実質的な創始者、長谷川洋三先生に毛筆で書いていただいた色紙です。
見事な字です。
長谷川洋三先生の字は、森田先生の字に似ています。
昔のかたは、本当に毛筆で見事な字を書かれます。

私は「純なこころ」のことをよく言うので、「行動、実践」については強調していないような印象を持たれるかたもいるかもしれません。
私が森田療法の感情に関する部分を強調するのは、行動を軽んじているわけではなく、むしろ今までの森田療法が、あまりに「行動」を強調しすぎて、それが森田療法だと勘違いするかたが多かったからです。

私もカウンセリングの初期には、「行動」をお勧めする場合が多いのです。
そこでカウンセリングをやめてしまうと、森田療法の深みがわからないまま「これが森田療法だ」と固定観念を持ってしまう場合もあるでしょう。

しかし行動を強調する森田は、「努力」を強調する部分とあいまって、えてして「根性論」になりがちです。
苦しいけれどひたすら実践し続けるのが「森田療法」という誤解が、世間には多いのです。
そういう誤解が生まれるのは神経質者の「教条」好きも一つの原因としてあります。
言葉が大好きなので、なんでも言葉に変換する。
そうすると、自分のものになったような気がして落ち着く。

本当に森田療法が自分のものになるのは、「体得」したときなのですけれど。

たとえば、この色紙の言葉にしても、「行動が」の部分に森田療法を見る人が多いかもしれませんが「可能性を開く」の部分が実は大切なのです。

実際に行動してみても、それが「症状を治す」わけではない。
自分自身の可能性が開かれたときに、症状はどうでもよくなるのです。

可能性というと、目を見張るような成果を想像するかもしれません。
そういう想像をするのも、言語偏重の人間の常ですね。

「可能性」は、「私」の可能性。
今まで症状や苦しみをなくすことばかりに目が行っていたけれど、なんだかいろいろなことに興味が出てきた。
自分のなかにこんなに好奇心があり、意欲があったのだと発見すること。
それが自分の可能性です。
たとえ何歳でも、どんな環境でも、私の「可能性」はある。

「行動」にしても、それは大げさなものではなく、本当に些細な日常の行動、いつもの仕事でいい。
実践するなかで、早く終える方法を試したり、苦手な人とうまくコミュニケーションする術を学んで実践してみたり・・・何か新しい工夫をするだけでいい。

本当はとても簡単なことから、「私の可能性」は開かれるのです。
神経質者はとにかく、いつも「精神の拮抗作用」のなかで「でも、でも・・」と迷ってばかりいて、手をつけること、前に進むことが苦手です。
思い切って腰をあげる。
そして実践したら、少しは良くなっただろうかという「症状のチェック」をせずに、成果のほうだけに目を向ける。

そうすれば、欲望が目覚め、自分自身の可能性に自然に気づいていくのです。

長谷川色紙 事実唯真

左 長谷川先生の色紙(菊地というのは結婚していた時の著者の苗字)
右 森田先生の色紙(コピー)

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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