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根性論の危うさ

最初に言っておきます。
私には根性がありません。

少しは努力しますが、ギリギリと自分を追い詰めるような努力は苦手です。
確かに自分を追い詰めるような努力をしたことはありますが、どうも体力がないようで、若い頃はそれをやると必ず発熱したり、消化器にきたり、何らかの病気になったりしていました。

上記の文章を読んだときに、「それは言い訳じゃないかな」と思った人、いるのではないでしょうか?
心のなかで、「でも持続的に努力できる人がいるのだから、体力や能力のせいにするのは言い訳だよね」と思ったのではないでしょうか?

学校教育の影響なのか、「為せば成る」とか「努力すれば何でもできる」という漠然とした観念を持っている人は、非常にたくさんいると思います。

そして真面目な人ほど、自分が挫折すると、「努力が足りなかった」とすぐ反省するのではないでしょうか?
そんなことをしていると、どんどん自信がなくなります。
逆にパフォーマンスも下がってくるかもしれません。

もちろん「もっと努力すればもう少し何とかなる」という考え方は大切です。
それは向上欲求ですから、自然なものです。
しかしこの向上欲求と根性論とは、少し違うような気がします。

人には各々、個性、能力、体力があります。
それは均一ではありません。
それなのに、誰でも、同じような目標に達することができるはずだ・・というのが根性論です。
「できないのは、アナタのせいでしょう」と言われてしまうのです。

学校教育、あるいは部活などで植え付けられた根性論は、自分のなかに棲みつきます。
達成できないと、全部自分のせいになってしまう。
「他の人はもっとがんばっているに違いない。がんばれない自分が悪い」

ある意味、自分にその目標を達成できるだけの能力、体力がないことを認めることがイヤという心理もあると思います。
「本当はできるはずだ、がんばればできるはずだ」と思いたい。
「他の人ができている(ように見える)」ことが自分にできないのが我慢ならないのでしょうか。
そして根性論に走り、挫折して、自信をなくしたり、身体をこわしたりするのです。

過大な欲望と、あるがままの自分との相克です。

がんばっても手に入らないもの、がんばってもできないことがあるのは当たり前のことですね。
できないのは、努力が足りないせいではないかもしれない。

私たちの個性、身体、能力は、それぞれでまったく異なっているのです。
私たちがすべきことは、自分にできることとできないことを見分けること。

自分の事実を見極めて、そこから工夫していくこと。
たとえば、目標を変えるとか、自分に合ったやり方に変えるとか。
ときにはあきらめることも必要になってくるかもしれません。
そんなときには、周囲の根性論の強要に耳を貸さないことも大事です。

結局、自分を大事にする、自分の個性を生かすことが、根性論からの脱却になるのかもしれません。

広隆寺


広隆寺

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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