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イヤなことを避け続けると

生きていく中で、人はいつも何らかの「選択」をしています。
大きな選択、小さな選択、様々です。

人間として当然なことですが、私たちはなるべく困難が少ない道を選択しがちです。
もちろん先行きに「危険」が予想されるなら、そういう選択がベストです。

ただいろいろな方のお話を聞いているなかで、時々「それを避ける? そこでやめる?」と感じてしまうことがあります。
つまりこちらから見ると、その先に行ったらいいことがありそう、楽しそう、可能性が開けそうと思われるのに、躊躇しているような例です。

「あの会合に誘われているのだけれど、大人数だし、誰がくるかわからないから行かない」
「この試験にチャレンジしてみたいけれど、自分の実力がわかるとイヤだから受けない」
「発表会には出たいけれど、恥をかきたくないから欠席する」

それは小さなことから大きなことにまで及びます。
小さなことで言えば・・
「友達があのアプリを使って楽しんでいるけれど、インストールしたら危険かもしれない」とチャレンジしない。
道具や家具なども「あれは便利そう」と思いながら、選んだり買ったりお金を出したりするのが面倒で今までのものですます。
進取の気質がないのですね。

大きなことでいえば・・
転職したいけれど、転職先が果たしていいところかわからないので、今のところで我慢する。
結婚を考えているけれど、果たしてこの人でいいのか・・といつまでも迷い続ける。
夫がDVっぽいけれど、家を出て生活していけるかわからないし、先の困難を思うと動くことはできない。

こんな場合は、「選択しない」ほうがずっと居心地が悪いのに、「先が見えない」ほうが怖く感じられる。
それで不快なところから動かず、我慢して留まり続けてしまうことになります。

そういう選択も、その人の選択なので、良くも悪くもありません。
まったく、個人の自由の領域です。

ただ、そうやって選択を拒否し続けると(それはつまり「前に進む」ことを拒否しているのと同じかもしれません)、長い目で見るとその人は「経験不足」の人になります。

それにイヤなことを避けて避けて避け続けた人生は、どうなると思いますか?

イヤなことを避けていると、イヤなことに敏感になります。(精神交互作用ですね!)
他の人はまったく不快とも思わないようなことが不快に感じられます。

チャレンジし続けた人ならなんとも思わないことが、一大事に感じられます。
そしてそのたびに深く傷ついたり、落ち込んだりします。
結局、イヤなことを避け続けていると、イヤなことを経験することが多くなるように私には感じられます。
耐性がなくなって、ちょっとの事件や失敗でも心が暗くなるのです。

経験によって培われるはずの自信も、得ることができない。

外からはなんの挫折もないおだやかな人生に見えても、ほんの少しの打撃で崩れてしまう弱さを抱えることになります。

経験こそは人生の宝です。

確かにチャレンジしたらイヤな思いをするかもしれない。
リスクをとった結果、失敗したと思うかもしれない。

けれどそれも経験です。
必ずや何かの学びになるし、自分の心を鍛えることになります。
怖いのなら、ほんのささいなことから踏み出せばいい。
そして結果のなかに、イヤなことだけでなく、小さな喜びを感じ取っていく。

その連続のなかで、私たちの人生は豊かになっていくのだと思います。

冬の木

T.H氏撮影
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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