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「変」って何?

面白い新聞記事を読みました。
最近の話です。

アフリカで開催されたとある会議。
この会議の主催国は日本だったそうです。

各国の代表団がいるなか、日本代表団だけが全員マスクをしていたそうです。
そしてそれを見たまわりの人たちは笑い、スマホで写真を撮る人もいたとか。
(この記事のテーマは他にあって、日本の影響力の低下だったと思いますが。)

さて、これを読んであなたはどう感じたでしょうか?
そしてご自身だったらどうしますか?

神経症になるかたたちは、自分が「変」であることを極度に恐れています。
こんなことを気にしているのは、世界中で自分一人だけだと思い、その自分の特殊さに恐怖するのです。

ですから、なるべく「変」でないように振舞おうと思い、かえって緊張し、不自然な態度になってしまうのです。

神経質の人たちの集団で、よく囁かれる陰口は「あの人、変よね」というもの。
同質であることで安心するので、ちょっとでも違う人は「変」という、自分が一番言われたくない表現でけなす。

ところが、この「変」であることを嫌う心性というのは、実は「特別でありたい」という心性と同根です(一元論ですよね)。
ですから、本当は(人から認められる形で)目立ちたいという気持ちもあるのです。

さて、変か変でないかという価値基準は、その属する集団によって違ってきます。
「自分は変」と感じさせる多様な人のいる集団では緊張し、同質の集団ではリラックスします。

ですから、自然と行動は内向きになりますね。

けれど、本当はそんな価値観から自由になりたいと思っている人が多いのではないでしょうか?
でも、どうしていいかわからない。

ここでちょっと考えてみましょう。
森田正馬は生前、人から見たら「変」と思われることをした人でした。
もちろん、その行動は奇矯であっても、「合理性」に基づいたものでした。
医学博士であり、大学教授なのに、こんなことする?――という類のことです。
ただ、なんだか「あえてやっていた感」も漂っています。
入院生に見せるという目的もあったのではないかと、私は思っています。

自分の行動を他人の価値観や、他人の目にゆだねないという覚悟でしょう。
それを表した森田の言葉に「唯我独尊」というものがあります。
結構むずかしい言葉だと思いますし、いろいろな解釈ができそうです。
「自分の思惑を人と比較する必要は少しもない」(全集5巻292頁)
つまりどんなことを思い悩んでも、迷っても、それでいい。そこから自分独自のものが生まれてくる、ということでしょうか。
意訳すれば、「自分の頭で考えましょう」とも言えます。

ここで冒頭のマスク集団の話にかえりましょう。
彼らはその後、どんなふうにふるまったのでしょうね? 
コロナの状況をふまえて、あるいは自分の帰属する集団に忠実であるためにマスクをし続けたのか、笑われるのがいやではずしたか?
一方で、自分たちと違う集団のことを「変だから」と笑ったり、写真をとったりすることも、やはり「変である」ことにとらわれている行動ではないかなと思うのです。

白い彼岸花


白い彼岸花、変種でも美しい

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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