日々のこと
今日は日常のささいなことを・・・。
時々近くのクリーニング店に衣服を出しにいきます。
このお店は、店の方針なのでしょう、非常にチェックが厳しいのです。
「毛玉がありますね。これは、クリーニングではとれませんから」
「ここにシミがあります。これは落ちるかどうかわかりません。シミ抜きをしますか?」
「あ、穴がありますね。ここから広がるかもしれません。お出しになりますか?」
(こんな小さい穴、どうやって見つけた?!)
とにかく私が持ってきた衣服をひっくり返して隅々まで眺め、チェックポイントを見つけ出すのです。
それにこの店員の女性は、なんだかいつも憂鬱な顔をしているのです。
何か見つけるたびにため息をつかんばかり。
もちろん、これはお店の方針で、あとで責任をとらないことを確認しているだけと、頭ではわかっています。
しかし、それを聞いているこちらは、とてもイヤな気持ちになります。
罪悪感さえ覚えてしまいます。
ただでさえ私は、ファッションとかおしゃれとかについては、関心も自信もありません。
これについては、若い頃からいろいろな人に注意されてきました。
「もう少しおしゃれしたら?」「着るものに気をつかったら?」
あまりにも注意されるので、きっと私はあまり良いファッションをしていないのだと確信するようになりました。
「おしゃれとは何か?」という哲学的命題(笑)に悩んだりもしましたが、しょせん関心がないのです。
すぐに忘れてしまいます。
どこかで自分を透明人間みたいに思っているフシがあります。
誰も私のことなんか見ていないに違いないと思っている。
しかし、クリーニング屋でこう何回も注意されると、さすがに衣服に注意が向きます。
以前は毛玉なんて、あまり注意を払わなかったのに、最近、性能の良い電動毛玉取りを買いました。
クリーニングに出す前に、それで一生懸命毛玉を取ります(^^;
それでも、目を皿のようにして衣服をひっくり返され、「毛玉がありますね・・」宣言をされます。
もう、ウール素材を買わないようにしようかとさえ思います。
さて、こういうふうに、会うたびに欠点ばかり言われると、やはりそこに足が向かなくなります。
次の衣服を出すのも、ひきとるのも遅くなり、かといって他のクリーニング屋に行くのは少し遠い。
こういうことって、思い当りますよね?
欠点ばかり指摘されると、それをやりたくなくなる。
なるべく避けるようになる。
自信もなくなる。
学校教育や家庭教育でやられてきたことでしょうか。
あるいは、自分で自分に対して毎日やっていることでしょうか。
でも、もうひとつクリーニング屋について面白い話があります。
ある対人恐怖のかたが、いきつけのクリーニング屋に寄ったとき、店員さんに「良いお洋服ばかりですね」と言われたそうです。
「もう二度とあそこには行かない」と言っていました。
これは対人恐怖者の「見知られる恐怖」です。
わかる人にはわかるでしょう。
接客もなかなかむずかしいものですね。
時々近くのクリーニング店に衣服を出しにいきます。
このお店は、店の方針なのでしょう、非常にチェックが厳しいのです。
「毛玉がありますね。これは、クリーニングではとれませんから」
「ここにシミがあります。これは落ちるかどうかわかりません。シミ抜きをしますか?」
「あ、穴がありますね。ここから広がるかもしれません。お出しになりますか?」
(こんな小さい穴、どうやって見つけた?!)
とにかく私が持ってきた衣服をひっくり返して隅々まで眺め、チェックポイントを見つけ出すのです。
それにこの店員の女性は、なんだかいつも憂鬱な顔をしているのです。
何か見つけるたびにため息をつかんばかり。
もちろん、これはお店の方針で、あとで責任をとらないことを確認しているだけと、頭ではわかっています。
しかし、それを聞いているこちらは、とてもイヤな気持ちになります。
罪悪感さえ覚えてしまいます。
ただでさえ私は、ファッションとかおしゃれとかについては、関心も自信もありません。
これについては、若い頃からいろいろな人に注意されてきました。
「もう少しおしゃれしたら?」「着るものに気をつかったら?」
あまりにも注意されるので、きっと私はあまり良いファッションをしていないのだと確信するようになりました。
「おしゃれとは何か?」という哲学的命題(笑)に悩んだりもしましたが、しょせん関心がないのです。
すぐに忘れてしまいます。
どこかで自分を透明人間みたいに思っているフシがあります。
誰も私のことなんか見ていないに違いないと思っている。
しかし、クリーニング屋でこう何回も注意されると、さすがに衣服に注意が向きます。
以前は毛玉なんて、あまり注意を払わなかったのに、最近、性能の良い電動毛玉取りを買いました。
クリーニングに出す前に、それで一生懸命毛玉を取ります(^^;
それでも、目を皿のようにして衣服をひっくり返され、「毛玉がありますね・・」宣言をされます。
もう、ウール素材を買わないようにしようかとさえ思います。
さて、こういうふうに、会うたびに欠点ばかり言われると、やはりそこに足が向かなくなります。
次の衣服を出すのも、ひきとるのも遅くなり、かといって他のクリーニング屋に行くのは少し遠い。
こういうことって、思い当りますよね?
欠点ばかり指摘されると、それをやりたくなくなる。
なるべく避けるようになる。
自信もなくなる。
学校教育や家庭教育でやられてきたことでしょうか。
あるいは、自分で自分に対して毎日やっていることでしょうか。
でも、もうひとつクリーニング屋について面白い話があります。
ある対人恐怖のかたが、いきつけのクリーニング屋に寄ったとき、店員さんに「良いお洋服ばかりですね」と言われたそうです。
「もう二度とあそこには行かない」と言っていました。
これは対人恐怖者の「見知られる恐怖」です。
わかる人にはわかるでしょう。
接客もなかなかむずかしいものですね。