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隠さない人

以前のブログ「強く、正しく、美しく」のところで、「純なこころ」を感じられるようになってくると、人との垣根がとれ、共感しあえるようになるということを言いました。

「それはなぜ?」「どういうプロセスで?」と疑問に感じるかたがいらっしゃるかもしれません。

森田先生の言葉でヒントになりそうなものがありましたので、以下に引用します。
これは、森田診療所に入院していたかたの日記の記述で、森田先生が入院生に話したことの記録です。


日記
 夜、茶話会で、(森田)先生のお話があった。(中略)
 他人を正しく見ることができないために、神経質患者は、皆、他人は安楽・のんきであるのに、自分一人苦しいと主張する。太陽が動いて、地球は動かないと主張すると同様である。

 自覚ができると、他人も自分も平等であるということがわかる。
 泥棒や放蕩者を見,または煩悶や強迫観念の人を見れば、必ず自分の心の奥にも、それと同様のものが動いているという事がわかる。 
 この平等観のために、自覚した人は、自分のありのままをさらけ出して、少しも恥ずかしくない。

 僕の(森田先生の)家は、座敷から物置の隅々までも、すべてを入院患者のために公開してある。僕の部屋は、まったくスダレをつけないで、寝るときも常に、開け放しにしてある。

 普通の多くの人と比較して見ると、よくわかる。時々夫婦喧嘩を公開してやることも、皆さんの知るところである。
 ただしこれも、人に対して利があって、害にならない範囲においてのみすることで、もし発表して公開して、害を及ぼすようなことは、慎んでこれをしてはならないのである、というようなお話があった。
              (森田正馬全集第4巻158頁「入院患者の日記から」)


森田正馬というのは、「隠さない人」だったのですね。

上記の文章を見るだけでも、森田療法がまったく「価値観」から自由なものであることがわかります。

人間の心に湧いてくるものに関しては、「自然」なものなので価値のつけようがない。

行動に関しては社会的に評価されることもある。しかし、自分でその責任をとる覚悟があれば、自分で選択していけばいい。

そして、神経質者が苦境に陥るのは、他人に本当の自分を隠すだけでなく、自分の心を自分から隠しているからなのかもしれません。

つまり「強く、正しく、美しく」の価値観を持っているということは、心のどこかで、「私は強い(正しい、美しい)人間であるべき!」という信念があり、それ以外の感覚やら欲求やらが湧いてくると、必死になってそれを消そうとするのです。

そしてそんなふうにしているから、強くなく、正しくなく、美しくないことをしている人を見ると、イライラする。
それも、その時の「純なこころ」かもしれませんが、「純なこころ」も変化流動していくものだと思います。


自分の心のなかにその人と同じような部分があると感じて、自覚すれば、「かくあるべし」は少し緩んでくるのではないでしょうか。


たとえば、あなたは疲れているとき、目の前にご老人が立っていても「もう少し座っていたいな」と思ったことはありませんか?

優先席の近くに乗車してしまって、「あ~あ、携帯が使えない」とがっかりしたことはありませんか?

他人にいやなことをされて、無性にその人の悪口が言いたくなったことはありませんか?

それもみんな「純なこころ」です。

それを瞬時に「かくあるべし」で押しつぶさないで、感じてみる。

そうすると、老人が前に立っているのに、電車の席で寝たふりをしている人の気持ちも、わかるようになるかもしれない。
微笑ましくさえ思えるかもしれない。

そうやって、世界と自分とが結びついていくのです。


森田正馬のような心境に到達するのは無理だと思いますし、彼は、自分の治療者としての立場をわきまえたうえで、手本になるように行動している部分もあります。

でも、少しずつ自分の「純なこころ」を感じて、「隠さない人」になっていくと、生きていくのが格段と楽になるのではないでしょうか。


             rose
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非公開コメント

>行動に関しては社会的に評価されることもある。しかし、自分でその責任をとる覚悟があれば、自分で選択していけばいい。

そうなんですよね。
森田は、その結果を引き受けるのであればズボラでもいい、とさえ言っていました。

こういう視点は大事だと思います。

それは「かくあるべし」から患者を解き放ち、
治療者が彼らの自然を保証し、みとめる働きを持つから。

しかしやはりこの点も、現在、見過ごされている部分と思います。
現に私自身、この言葉を読んだ時、驚きました。
自分の知っていた森田療法と違う!∑(゚Д゚)

むしろ、いまだに
「心はどうでも構わないが行動だけは責任を持ち、建設的であれ」
という、いかにも森田療法らしいアドバイスが生き残っていて、それらが教条として患者を縛り、純な心を感じることを阻むように機能するケースが多いと思います。

それが、「強く正しく…」という価値観と結びつくと、大変ですね。

せっかく湧き出た純な思いも、肥大な価値観が「瞬時に」押しつぶしてしまう。

おまけに、「ただ行動あるのみ」みたいな教条によって、ますます自分の「感じ」から遠ざかる。

強く正しく美しい行動に手をだす前に立ち止って、「感じ」てみて欲しい。

絶え間ない行動への取り組みが、心を押しつぶす習慣になってることもあると思うのです。

Re: タイトルなし

とんちゃん様
>> 絶え間ない行動への取り組みが、心を押しつぶす習慣になってることもあると思うのです。

わぁ、実にそうですね。森田療法って、なんだか歯を食いしばって「なすべきをなす」という、禁欲的、修行的なイメージがありますものね。
でも森田正馬本人を見ると、学者風でも修行者風でもなく、どこか軽くて明るいですよね。
森田療法というものは、絶えず森田正馬本人(つまり原点)に戻って地歩を確かめながら進む必要があると、この頃、私は思います。

No title

強くなく、正しくなく、美しくないことをしている人を見ると、
イライラするのは当然で、普通の人です。

イライラする不快感情を排除できるとカン違いしてる人は、
複雑なる心の人です。

Re: No title

ご指摘ありがとうございます。確かにここのところは、純なこころではいけないような書き方でしたね。「純なこころ」も変化流動のうちにある、ということを言いたかったのですが。表現がまずかったですね。直しておきます。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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