呪文返し
なんだか、カルトかスピ系みたいなタイトルになってしまいました。
このところ、「倍返し」とかいう言葉が流行っているので、それを真似て造語してみただけ。
何を言いたいのかというと、私たちが小さい頃から自分のなかに「呪文」のように取り込んできたつぶやきを、裏返してみようよ、ということです。
人は、育っていくうちに、必ずや何か標語のようなものを自分のなかに取り込みながら生きていくのだと思うのです。
「困難な人生を勝ち抜こう」「強く生きよう」「前向きに行動しよう」とか、あるいは「怖いことはなるべく避けよう」「身体が一番大事」「恥をかいてはいけない」「目立ってはいけない」「わがままはいけない」「いつも明るく」「勉強と努力がすべて」などという標語のようなものならまだしも、自分を規定するようなことを言われて育つこともあります。
「私は美しい(あるいは醜い)」「私はドジだ」「私はなんでもできる(何もできない)」「私は頭が悪い(あるいは良い)」「私は役立たずだ」
こういうものがひとつもない人はいないと思います。
こんな自分につぶやく「呪文」が、人生を生きていくうえで、とても有効に働く場合もあります。
たとえば、「勉強と努力がすべて」と自分に言い聞かせて生きてくれば、学校や職場で、とても活躍できたり、評価されるに違いありません。
「恥をかいてはいけない」と思いながら生きれば、社会的なルールを踏み外したり、大きな失敗はしないかもしれません。
けれど、その呪文が効かなくなるときがある。
「勉強と努力がすべて」と思っていても、もう体力的にそれができなくなるときがきたり、努力に疲れるときがくる。
「恥をかいてはいけない」とばかり思っていて、ちっとも思い切ったことができないという場合もある。
そんなときは「呪文返し」をしましょう!
それとは逆の言葉を、自分につぶやいてみるのです。
「勉強と努力ばかりじゃなくていい。たまには休もう」
「恥をかいたっていいじゃないか」
自分が育つ過程で、自分につぶやいてきた呪文。
それは周囲の誰かから言われたことかもしれません。
親かもしれないし、学校の先生かもしれないし、尊敬する人かもしれない。
いろいろな言葉のなかから、きっと私たちは、自分の印象に残るものを選ぶのかもしれませんし、あるいは親にしつこく言われすぎて、頭にこびりついてしまったものもあるかもしれません。
あるいは言葉で言われなくても、親のしていることを見て、自分のなかにそういう確信が生まれるのかもしれません。
親がいくら、「外で積極的に遊びなさい」と言っても、親自身が半ひきこもり的な生活をしていたら、子どもは「外はこわいんだ」と思うでしょう。
呪文が自分をけなす言葉だからと言って、不利に働くばかりではないときもあります。
たとえば、「あんたはブスだ」と言われて育つと、「では、別の方面で自分の魅力をのばそう」と思うかもしれませんし、ただの劣等感になるだけかもしれません。
何かを悪い言葉と決めつける必要はないけれど、もしその言葉が自分を苦しめる言葉なら、呪文返しをしましょう。
「私は役立たずではない。存在してもいいんだ」
「私は十分魅力的だ」
「人のために役立つばかりじゃなくていい。自分のために生きてもいい」
自分のなかに湧いてきて、自分を苦しめる呪文に対して、しっかりと自分の言葉で言い返しましょう。
そんな地道な呪文返しをしているうちに、あなたの世界観も少しずつ変わってくるかもしれません。

このところ、「倍返し」とかいう言葉が流行っているので、それを真似て造語してみただけ。
何を言いたいのかというと、私たちが小さい頃から自分のなかに「呪文」のように取り込んできたつぶやきを、裏返してみようよ、ということです。
人は、育っていくうちに、必ずや何か標語のようなものを自分のなかに取り込みながら生きていくのだと思うのです。
「困難な人生を勝ち抜こう」「強く生きよう」「前向きに行動しよう」とか、あるいは「怖いことはなるべく避けよう」「身体が一番大事」「恥をかいてはいけない」「目立ってはいけない」「わがままはいけない」「いつも明るく」「勉強と努力がすべて」などという標語のようなものならまだしも、自分を規定するようなことを言われて育つこともあります。
「私は美しい(あるいは醜い)」「私はドジだ」「私はなんでもできる(何もできない)」「私は頭が悪い(あるいは良い)」「私は役立たずだ」
こういうものがひとつもない人はいないと思います。
こんな自分につぶやく「呪文」が、人生を生きていくうえで、とても有効に働く場合もあります。
たとえば、「勉強と努力がすべて」と自分に言い聞かせて生きてくれば、学校や職場で、とても活躍できたり、評価されるに違いありません。
「恥をかいてはいけない」と思いながら生きれば、社会的なルールを踏み外したり、大きな失敗はしないかもしれません。
けれど、その呪文が効かなくなるときがある。
「勉強と努力がすべて」と思っていても、もう体力的にそれができなくなるときがきたり、努力に疲れるときがくる。
「恥をかいてはいけない」とばかり思っていて、ちっとも思い切ったことができないという場合もある。
そんなときは「呪文返し」をしましょう!
それとは逆の言葉を、自分につぶやいてみるのです。
「勉強と努力ばかりじゃなくていい。たまには休もう」
「恥をかいたっていいじゃないか」
自分が育つ過程で、自分につぶやいてきた呪文。
それは周囲の誰かから言われたことかもしれません。
親かもしれないし、学校の先生かもしれないし、尊敬する人かもしれない。
いろいろな言葉のなかから、きっと私たちは、自分の印象に残るものを選ぶのかもしれませんし、あるいは親にしつこく言われすぎて、頭にこびりついてしまったものもあるかもしれません。
あるいは言葉で言われなくても、親のしていることを見て、自分のなかにそういう確信が生まれるのかもしれません。
親がいくら、「外で積極的に遊びなさい」と言っても、親自身が半ひきこもり的な生活をしていたら、子どもは「外はこわいんだ」と思うでしょう。
呪文が自分をけなす言葉だからと言って、不利に働くばかりではないときもあります。
たとえば、「あんたはブスだ」と言われて育つと、「では、別の方面で自分の魅力をのばそう」と思うかもしれませんし、ただの劣等感になるだけかもしれません。
何かを悪い言葉と決めつける必要はないけれど、もしその言葉が自分を苦しめる言葉なら、呪文返しをしましょう。
「私は役立たずではない。存在してもいいんだ」
「私は十分魅力的だ」
「人のために役立つばかりじゃなくていい。自分のために生きてもいい」
自分のなかに湧いてきて、自分を苦しめる呪文に対して、しっかりと自分の言葉で言い返しましょう。
そんな地道な呪文返しをしているうちに、あなたの世界観も少しずつ変わってくるかもしれません。

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