人生の主人公になろう(共依存篇)
昔とある方が、「あなたのモットーは?」というインタビューに答えて、「自分のために生きること」と言っていたことがあります。
その頃は、私はまだ共依存性が高い人間だったので、「?」という感覚がありました。
けれど、この言葉に刺激される自分もいたのです。
なぜ「?」と感じたかというと、私は共依存とはまた別に、クリスチャン・スクールで毎日聖書を読みながら育ったこともあり、「人のために尽くす」みたいな筋金入りモットーがあったのです。
もちろん、モットーがあるからと言って、本当に人に尽くしていたかは疑問ですが。
しかし、よく考えてみれば、「人に尽くす」ということは、「自分を犠牲にする」ということとイコールではありません。
自分を生かしながら人に尽くすことだってできるわけです。
どうもそのあたりがゴチャゴチャしてくるのが「共依存」的な人間です。
どう考えても、若い頃私は「他人中心」に生きてきたとしか言えません。
他人の感情を読み、相手が不機嫌か上機嫌がが、その日の私の気分になります。
相手の欲求を過度に尊重するので、自分の欲求がわからない。
自分を取り巻く環境を良くすることや、そのために働くことが「人の生きる道」だと思って、一生懸命やる。
そうすると、仕事などでは評価されるので、また調子づく。
自分の時間を犠牲にしたり、健康を犠牲にしてもやり続ける。
「うつ」になりやすい人にも共通するところがありますね。
それでも私は、自分の趣味興味のところに確固としたものがあったので、幸いにして完全に自分を失うことはありませんでした。
そしてあるとき、森田療法の「純なこころ」の深さに気づいて、やっと「あぁ、自分のために生きていいんだ」と腑に落ちたのです。
それはある意味「もっと自分の欲求を大切にしていいんだ」ということです。
そして、周りをよく見てみると、なんと皆、結構わがままに生きているではありませんか。
価値判断は別にして、しっかりと自分を守っている人が多い感じがしました。
自分の人生の主人公になる。
それは何もヒーロー的な画期的な人生を生きるということではなく、日々を自分の感覚や感情を大切にして生きるということです。
共依存的な人は、極端に我慢強い人が多い。
だから、端的に言えば、生理的なものまで我慢してしまう場合だってある。
飛行機内で、緊急の場合には、まずお母さんが酸素をつけてから子どもに装着しましょうという、インフォメーションがありますが、それと同じです。
自分が助からなければ、他人を助けることなどできない。
そんなことを頭に置いて生きていきたいと思う毎日です。
- 関連記事
-
- ACのグループ始めます
- 人生の主人公になろう(共依存篇)
- 呪文返し