詩の楽しみ
猛暑です。
熱中症になるのがこわいので、外に出ず、夏休みを夢想してみます。
どこか木陰で、時折涼しい風に吹かれながら、詩などを読み、飽きたら昼寝をし・・・そういうことがしてみたい。
そんなとき、誰の詩集を持っていきたいかと言ったら、私はやはり西脇順三郎(1894―1982)を選びます。
西脇順三郎は、碩学(学問的造詣が深いこと)の人で、ラテン語で文章を書いたり、英語で詩集を出したりしています。
慶応大学名誉教授。ノーベル文学賞候補にもなった人です。
高校時代、(多分教科書に載っていた)この人の詩を読んで、まさにショックと言っていいほど感動しました。
(覆された宝石)のような朝
何人(なんびと)か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
天気/詩集「Ambarvalia」 より
その頃までの私はどちらかと言うと「哲学」のほうに偏った、「意味」を追求する言葉を読んでいたのかもしれません。
そして現在は、強迫神経症のかたがたとお会いしているので、意味を定義する言葉を使用しなくてはなりません。
しかし、詩の言葉は違う。
意味を利用しつつも、言葉と言葉の組み合わせ・衝突を起こして、単独の言葉だけでは表現できないものを表現する・・・ということでしょうか。
南風は柔らかい女神をもたらした
青銅をぬらした 噴水をぬらした
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした
潮をぬらし 砂をぬらし 魚をぬらした
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした
この静かな柔らかい女神の行列が
私の舌をぬらした
雨/詩集「Ambarvalia」より
何よりも私が西脇順三郎を好むのは、その詩が「永遠」とか「時間の寂しさ」とかを感じさせてくれるからかもしれません。
ご多聞にもれず、その頃は私も詩を志し、「行間に永遠が見える文章を書きたい」などと、志したのですが、志しというものは果たされないようにできているようです。
けれど、まだ詩を読む楽しみは生きています。
蒼白なるもの
セザンの林檎
蛇の腹
永劫の時間
捨てられた楽園に残る
欠けた皿
詩集「旅人かえらず」より
永遠の
果てしない野に
夢みる
睡蓮よ
現在に
めざめるな
宝石の限りない
眠りのように
宝石の眠り/詩集「宝石の眠り」より
強迫的言語の世界から少し夏休みをとって、余韻を楽しむ、行間を読む世界へ遊びに行ってみてはいかがでしょうか。
熱中症になるのがこわいので、外に出ず、夏休みを夢想してみます。
どこか木陰で、時折涼しい風に吹かれながら、詩などを読み、飽きたら昼寝をし・・・そういうことがしてみたい。
そんなとき、誰の詩集を持っていきたいかと言ったら、私はやはり西脇順三郎(1894―1982)を選びます。
西脇順三郎は、碩学(学問的造詣が深いこと)の人で、ラテン語で文章を書いたり、英語で詩集を出したりしています。
慶応大学名誉教授。ノーベル文学賞候補にもなった人です。
高校時代、(多分教科書に載っていた)この人の詩を読んで、まさにショックと言っていいほど感動しました。
(覆された宝石)のような朝
何人(なんびと)か戸口にて誰かとささやく
それは神の生誕の日
天気/詩集「Ambarvalia」 より
その頃までの私はどちらかと言うと「哲学」のほうに偏った、「意味」を追求する言葉を読んでいたのかもしれません。
そして現在は、強迫神経症のかたがたとお会いしているので、意味を定義する言葉を使用しなくてはなりません。
しかし、詩の言葉は違う。
意味を利用しつつも、言葉と言葉の組み合わせ・衝突を起こして、単独の言葉だけでは表現できないものを表現する・・・ということでしょうか。
南風は柔らかい女神をもたらした
青銅をぬらした 噴水をぬらした
ツバメの羽と黄金の毛をぬらした
潮をぬらし 砂をぬらし 魚をぬらした
静かに寺院と風呂場と劇場をぬらした
この静かな柔らかい女神の行列が
私の舌をぬらした
雨/詩集「Ambarvalia」より
何よりも私が西脇順三郎を好むのは、その詩が「永遠」とか「時間の寂しさ」とかを感じさせてくれるからかもしれません。
ご多聞にもれず、その頃は私も詩を志し、「行間に永遠が見える文章を書きたい」などと、志したのですが、志しというものは果たされないようにできているようです。
けれど、まだ詩を読む楽しみは生きています。
蒼白なるもの
セザンの林檎
蛇の腹
永劫の時間
捨てられた楽園に残る
欠けた皿
詩集「旅人かえらず」より
永遠の
果てしない野に
夢みる
睡蓮よ
現在に
めざめるな
宝石の限りない
眠りのように
宝石の眠り/詩集「宝石の眠り」より
強迫的言語の世界から少し夏休みをとって、余韻を楽しむ、行間を読む世界へ遊びに行ってみてはいかがでしょうか。
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