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もう一人のシェイクスピア

本日は映画の話。
私はDVDで見るので、いつも若干古めの映画ですが、これは一昨年公開のもの。

「もう一人のシェイクスピア」(Anonymous)

何か久しぶりに面白い映画を見たという感じがして、書きたくなりました。

このところ、「これがいい」という評判を信じて映画館まで見に行って「一体、この映画のどこが?」という思いをすることが多く、つくづくと世間の嗜好と自分の趣味とは隔たっているのだなと自覚した次第。

趣味なんてものは、すべて偏愛。
私が良いと思えば、他の人がどう言おうと「良い」のです。

というわけで私の偏愛にピッタリ当てはまる映画でした。

問題提起でもなく、教訓的でもなく、ただただエンターティメント(笑)。
物語性がたっぷり。

この映画は、あのシェイクスピアは、実は戯曲を書いておらず、本当に書いていたのは別人、オックスフォード伯エドワード・ヴィアという人だったというお話。

従来のシェイクスピアの直筆原稿はひとつも残っておらず、あのストラットフォード・オン・エイボンの人が数々の名作を書いたという証拠がひとつもない。
それにあのような作品を書くには、相当の教養が必要なのに、彼にはそれだけの教育を受けた形跡もない。

それで後世、シェイクスピアの作品は実は別人が書いたのだという説が言われるようになったのだそうです。

では誰が書いたかというと、候補にあがったのは、フランシス・ベーコン。
でも最近はこのオックスフォード伯説が有力になっているようです。

で、映画はそれをベースにしながら、検証するわけでもなく、架空の世界に突き進んでいきます。

オックスフォード伯は、言葉で社会を変えられると信じ、「書く」ことに取り憑かれています。
自分の頭のなかの登場人物たちに「声」を与えなければならない。

確かに大作家と言われる人たちは、そんなふうに「取り憑かれている人」が多いような気がします。
ドストエフスキー、フォークナー、紫式部・・・などが私の連想する「取り憑かれていた人たち」。

で、オックスフォード伯は、作品を発表できる立場におらず、自分の作品を同時代の劇作家ベン・ジョンソンに託しますが、ジョンソンは作家としてのプライドから、他人の作品を自分のものとして発表できない。
それを脇からかすめとったのが(従来の)シェイクスピア。

ある意味、これは男の嫉妬の物語でもあります。
そして嫉妬の奥底にある哀しみも伝わってきます。

ベン・ジョンソンはたまたま天才と同じ時代に同業者として居合わせてしまった不運な作家。
まるでモーツァルトとサリエリのよう。
また宰相のロバート・セシルは権力を握ってはいるが、不具の身で、文武両道に秀でたオックスフォード伯に劣等感と嫉妬を抱いている。

この二人の嫉妬が物語を展開していきます。

そして映画の構成自体が面白い。

現代から始まり、劇中劇の構成で、そのなかでまたシェイクスピアの戯曲の断片が演じられる。
ストーリー全体はまるでシェイクスピア劇のように、権力闘争、恋愛、嫉妬からの確執などが散りばめられ、最後はギリシャ悲劇になる!

こういう入れ子構造的な複雑さ、魅力的です。

しかし確かに内容が盛り込みすぎ、なおかつ登場人物の関係が最初はつかめず、こういうところが世間的な評判ではマイナスになるのでしょうね。

それにシェイクスピアに興味のない人はあまり面白くもない話でしょう。

でも細部まで作り込こまれていて、美術も衣装も凝っています。
もう一度じっくり見たらまたマニアックな発見があるかなという映画でした。

 
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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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