新年の抱負
明けましておめでとうございます。
古臭く「新年の抱負」などとタイトルしてしまいました。
なんだか「抱負」を言いたくなったんですよね。
実は昨年12月も押し詰まった頃、使っていたPCが突然起動しなくなりました。
ただの黒い箱になった!
私の歴代のPCはいつもこうやって突然寿命が終わるので、「またか」と思い、血の気が引きました。
年末までにしなくてはならないことが山ほど・・・
今年末締め切りの原稿もあり、年賀状もまだ印刷していない。
年賀状ソフトもPCのなか・・住所録も・・・・
それにだんだんPCの動きがにぶくなってきたので、外付けハードディスクというのを買ってきて、バックアップをしていたのですが、そのバックアップも「明日でいいか」と一ヶ月くらい怠っていたのです。
「だから早くやっとけばいいのに・・!!」と自分を叱ってもしかたない。
幸いその後何回か起動したら、PCが復活しました。
もう速攻、PCですべき作業を優先して片付けました。
面倒くさいことや、しなくてはならないことをギリギリまで延ばす癖があるのですね。
ま、それもギリギリで必ず仕上げるからいいのですが、それなら、仕上げる時にがんばればいいのに、仕上げるまでずっと気にかかっていて、他のことをやっても鬱々としているのが、どうも自分にとっては負担です。
これはもしかしたら軽い「着手恐怖」かもしれません。
だって、やってみれば何でもそれほど大変でもなく、時間もかからないのですよね。
気分のほうが重くなっている。
これは神経質的なのかもしれません。
今年は森田的に「まずは手をつける」ということをやってみたい。
(今までやってなかったのか!?という声も聞こえますが・・・)
まずはPCの買い替えですが、これもwindows8 は使いにくそうだからどうしよう、Macにしようか、しかしこのトシでMacは使いこなせないだろうと迷い続けていたので、遅くなっているのです。
これも同じような心理でしょうか。
「いや」と、ここで「精神の拮抗作用」で反対のことを考える。
「やるべきことにまずは手をつける」ということをやっていたら、「やりたいこと」にはいつ手をつけるのか・・・。
これは、よく神経質のかたが出す疑問。
ところがこれを具体的によく考えてみると、実は私はやりたいことは結構やっている。
やりたいことをやっているから「大変そうなこと」に手がつかないのですよね。
やりたいことは自然にできる。
*ここで少し「注」をつけます。
「やりたいことは自然にできる」のは「神経質」のかたの場合です。神経質の場合は「面倒くさい」という感覚をきちんと感じられるので、これは良いところでもあるのです。息抜きをしたいという気持ちになるし、疲れ果てるまでやらない。
ところが「うつ」的なところがある人は、「やるべきこと」をどこまでもやってしまうので「うつ」になるのです。
自分の事実を考えて、しっかり区別してくださいね。
ところが私の「やりたいこと」は、どうも受動的なことが多い。
DVD見るとか読書するとか音楽を聞くとか・・・。
今年はもっと能動的な楽しいことをしてみたい。
「ウォーキング」とか「絵を描く」とか・・。
ま、どれだけできるかわかりませんが、これが私の本当の新年の抱負。

古臭く「新年の抱負」などとタイトルしてしまいました。
なんだか「抱負」を言いたくなったんですよね。
実は昨年12月も押し詰まった頃、使っていたPCが突然起動しなくなりました。
ただの黒い箱になった!
私の歴代のPCはいつもこうやって突然寿命が終わるので、「またか」と思い、血の気が引きました。
年末までにしなくてはならないことが山ほど・・・
今年末締め切りの原稿もあり、年賀状もまだ印刷していない。
年賀状ソフトもPCのなか・・住所録も・・・・
それにだんだんPCの動きがにぶくなってきたので、外付けハードディスクというのを買ってきて、バックアップをしていたのですが、そのバックアップも「明日でいいか」と一ヶ月くらい怠っていたのです。
「だから早くやっとけばいいのに・・!!」と自分を叱ってもしかたない。
幸いその後何回か起動したら、PCが復活しました。
もう速攻、PCですべき作業を優先して片付けました。
面倒くさいことや、しなくてはならないことをギリギリまで延ばす癖があるのですね。
ま、それもギリギリで必ず仕上げるからいいのですが、それなら、仕上げる時にがんばればいいのに、仕上げるまでずっと気にかかっていて、他のことをやっても鬱々としているのが、どうも自分にとっては負担です。
これはもしかしたら軽い「着手恐怖」かもしれません。
だって、やってみれば何でもそれほど大変でもなく、時間もかからないのですよね。
気分のほうが重くなっている。
これは神経質的なのかもしれません。
今年は森田的に「まずは手をつける」ということをやってみたい。
(今までやってなかったのか!?という声も聞こえますが・・・)
まずはPCの買い替えですが、これもwindows8 は使いにくそうだからどうしよう、Macにしようか、しかしこのトシでMacは使いこなせないだろうと迷い続けていたので、遅くなっているのです。
これも同じような心理でしょうか。
「いや」と、ここで「精神の拮抗作用」で反対のことを考える。
「やるべきことにまずは手をつける」ということをやっていたら、「やりたいこと」にはいつ手をつけるのか・・・。
これは、よく神経質のかたが出す疑問。
ところがこれを具体的によく考えてみると、実は私はやりたいことは結構やっている。
やりたいことをやっているから「大変そうなこと」に手がつかないのですよね。
やりたいことは自然にできる。
*ここで少し「注」をつけます。
「やりたいことは自然にできる」のは「神経質」のかたの場合です。神経質の場合は「面倒くさい」という感覚をきちんと感じられるので、これは良いところでもあるのです。息抜きをしたいという気持ちになるし、疲れ果てるまでやらない。
ところが「うつ」的なところがある人は、「やるべきこと」をどこまでもやってしまうので「うつ」になるのです。
自分の事実を考えて、しっかり区別してくださいね。
ところが私の「やりたいこと」は、どうも受動的なことが多い。
DVD見るとか読書するとか音楽を聞くとか・・・。
今年はもっと能動的な楽しいことをしてみたい。
「ウォーキング」とか「絵を描く」とか・・。
ま、どれだけできるかわかりませんが、これが私の本当の新年の抱負。
