複雑で微妙な感情
またかと言われるでしょうが、レナード・コーエンの代表的な歌に「Famous Blue Raincoat」というのがあります。
まさに「昼の光の下では聞けない」悲しい歌ですが、とても美しい。
歌っているのは大体こんな内容。
以前、「私」の親友が妻と浮気をした。彼は今、砂漠に家を建て無為に一人で暮らしている。その親友に手紙の形式で語りかける歌です。/君は元気でいるだろうか。最後に見かけたときにはとても老けこんでいたけれど。あのとき君のところから帰ってきた妻はもう誰の妻でもなくなった。でも君は、僕よりもずっと彼女を幸せにしてくれた。だから君は僕にとって殺人者なのだろうか、兄弟なのだろうか、僕は君を許すのだろうか、君を失って寂しいと思うのだろうか・・・
これは「Songs of Love and Hate」(愛と憎しみの歌)というアルバムのなかの一曲です。(アルバムのタイトルもすごい)
とにかくとても複雑な感情を歌った歌です。
「彼」を憎みきることもできず、かと言って以前のように親しむこともできない。彼を失って寂しいという気持ちもあり、一時でも妻を奪われた悔しさもある・・
人間の感情は、いつでもこのように複雑で微妙なものです。
相反するものが同居するだけでなく、その他にも様々な感情が湧いてくる。
この歌ほど劇的ではなくとも、私たちが過去の出来事を思い出す時に、そこに湧いてくる感情はすでに単色のものではなく、懐かしさとか寂しさとかほのぼのとした感じとか、様々なものの混合だと思うのです。
ところが往々にして私たちは、その出来事が現在形の場合、単色の感情に駆り立てられてしまうことがあります。
強烈な憎しみや怒りに支配されたり、あるいは何かにのぼせ上がったり・・・
そのために日常生活が滞る人さえいます。
けれどその思いをちょっと離れた目で見てみると、そのなかには悲しみとか悔しさとかあるいは賞賛とかちょっとした疑問とか、様々な複雑なもの、微妙なものが入り混じっているのがわかります。
言葉ですら表現できないような微妙なものです。
そういう微妙なものをとらえながら表現していくのが詩であり、芸術であるのかもしれません。
私たちは、ものごとを白か黒かでとらえがちです。
白か黒か、勝ちか負けか、正しいか間違っているか、100か0か。
そういう観念に基づいて湧いてくる感情は単色です。
勝ったら有頂天になり、負ければ地獄の底まで落ち込む。
100だったら自己評価は最高になり、天狗になり、0だともう生きている価値もないと思う。
その間の領域は存在しない!
なぜそうなるのか、いろいろな理由が考えられます。
湧いてくる不快感に恐怖したり、快感に陶酔したりがあまりに強烈で、それに反応しすぎているのかもしれない。
精神の拮抗作用が強い、つまり何かを考えると反射的に反対のことを考える(感じる)というクセが強固なのかもしれない。
あるいは、「言葉」や「観念」にあまりにもとらわれていて、自分の現状を決まりきった言葉でしかとらえられないのかもしれない。
そんなとき、ほんの少しでも立ち止まって、自分のなかにそれとは別種の様々な感情が湧いては流れていくのを眺めてみるのもいいかもしれません。
あるいは、良質な「芸術」に触れるのもいいかもしれない。
良質な詩、和歌とか俳句、小説、絵画、映画、音楽・・・
それらはほとんど「論理」では割り切れないもの。
「言葉」で定義しきれないもの。
そのなかにあるのは、単色の感情ではなく、複雑で微妙な感情、感覚だろうと思うのです。

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