森田正馬の好奇心

1927年(昭和2年)日本神経学会総会で初めて、精神分析学派の丸井清泰と森田正馬の論戦が行われました。
(日本神経学会は後に日本精神神経学会と改称)

丸井清泰は(1886~1953)当時気鋭の精神医学者。
東京帝国大学卒業後、米国のジョンス・ホプキンス大学へ留学し、アドルフ・マイヤーに師事し、日本に初めて精神分析学を紹介した人です。

森田正馬は、その読書記録を見ると、当時手に入る限りのフロイトの(翻訳)を読んでいたようです。

森田は、学会でフロイト説を「なぜ性欲だけ強調するのか」とか「事実を如実に観察しておらず、哲学的ではあるが科学ではない」などと攻撃します。
すると丸井清泰は、分析は今や世界的に認められている科学的な精神療法であって、認識不足である、などと反論します。

あるときには、丸井清泰が講演のために壇上に歩いていったときに、コードに足が触れてつまづいたそうです。森田は「つまづいた理由を過去の性的体験から説明したらどうか」と言ったという話も伝わっています。

本当のことかどうかわかりませんが、まるで子供の喧嘩のようです。
まぁ、こういう稚気のあるところが、また森田の魅力でもあったのでしょう。

さて、この喧嘩(もう論戦ではない)に辟易した学会側は、これに決着をつけようと1938年の学会で双方が「神経質について」をテーマに発表するという「宿題報告」を課しました。

この「宿題報告」のとき、森田はすでに死の床にあり、弟子の高良武久が代わりに発表したのです。
高良武久は森田とまた違い、相手を攻撃することなく、理論的にエビデンスもまじえて発表を終え、森田の死の床に駆けつけました。

高良の報告を聞き、森田は喜んで「日本人にだって独創的な研究ができるじゃないか」と言ったと伝えられています。
当時はヒトラーが抬頭しており、アーリア人種優生論が盛んだったので、こういう言葉になったわけです。

森田がなぜそれほどまでに丸井清泰に反発したかという理由のひとつに、東北大学の教授をしていた丸井が、フロイト理論については知識のみで、臨床を殆ど行っていなかったということがあるそうです。

治療法であるならば、患者を治療して、それで実証的に示してほしかったのでしょう。

ですから、実は森田は精神分析が本当に患者を治すことができるのか、興味津々だったところがあったようです。

当時、丸井は臨床をあまりしていませんでしたが、その弟子の古澤平作が、分析治療をする診療所を始めていました。

森田の最晩年の1938年頃、通信療法の記録のなかにこんな言葉が出てきます。

「もし貴君が、小生の説がお気に入らず、また治りにくい場合は、精神分析療法というのがあります。これは強迫観念の起る根本原因は遠き既往にさかのぼった性欲的の不満感動にあるといって、その原因を探し出すのであります。
もしお望みならば、医博・古澤平作氏を御紹介します。もしその方におかかりの時はどうかその結果を一寸お知らせ下さい。研究上に必要ですから」(森田全集第四巻)

こういう言葉を二人ほどの相談者に書いて送っているのです。

精神分析が実際はどんなことをするのか、知りたかったのですね、森田は。

こういうところが、実に森田正馬らしい。

何ごとも「頭から」否定しないのです。
何でも実際にやってみたり、見てみたり、試してみたり、自分の目で確かめてから結論を出すという姿勢がありました。

彼のなかには旺盛な好奇心があり、その好奇心が強すぎて、簡単に決めつけて捨てていくという研究態度にはなれない。

その好奇心こそが、彼の独創の根源にあったものなのかもしれません。

         蓮 不忍池の蓮の花
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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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