経験として残るもの
先日、とあるかたがご自身の悩みを語っているときに、「10年位前にも同じくらい苦しかったんですが・・・あれ? どんなんだったかな? ちょっと忘れてしまったけれど・・・」とおっしゃっていました。
そう、悩みって忘れるものなんですね。
もちろん、今も同じ悩みを手離さず持ち続けている場合は、当然忘れません。
あるいは、ものすごい衝撃だった体験も忘れられません。これはトラウマと言います。
でもどうやら、神経症的な悩みというのは、忘れるもののようです。いろいろなかたのお話を伺っていると皆そうです。
たとえば、今、不潔恐怖で悩んでいる場合などでも、以前は確認恐怖がひどかったはずだけれど、気が付くともう確認恐怖は忘れてしまった・・・などとおっしゃいます。
昔、人の前で話をするのが恐怖だった。けれど何回も話をする機会が増えて、今はもうその恐怖は思い出せない。
そういうかたもいます。
きっと神経症的な悩みは、自分で頭の中に作り上げているもので、まったく実態のないものだから忘れてしまうのでしょう。
森田療法の「感情の法則」のとおり、どんな感情も時を経れば、流れていってしまうわけです。
ですから私は、悩んでいるかたに「今は悩みにフォーカスするよりも、経験としてあとに残るものにフォーカスしましょう」と言います。
現在、対人恐怖や不潔恐怖や強迫観念があったにしても、それはそれとして、現実的な経験をすることを選択する。
たとえ、スピーチがこわくて、足が震えながらスピーチをしたとしても、将来的に記録として、自分の「事実」として残るのは、あのとき断らずにスピーチしたということです。
足が震えたことなどは、未来の時点では、覚えてもいないことなのです。
もちろん、ここでひとつ注釈をつけますと、今の不安を「症状」として持っているときには、具体的な経験を積んでも、失敗ばかりに目が行きます。
前の例で言えば、スピーチができても、そのときにはできたことには全く目が行かず、足が震えたこと、言葉がうまく出てこなかったことばかりが気になります。
それでもやはり、逃げずに経験を積んでおく。
悩みがありながら、具体的な事実を残していく。
そうすれば、未来のあなたは、足が震えたことやそのときの不安などは全く思い出せず、あのときにはこんなことをしたなぁ、ということだけが記憶に残るのです。
おっくうだったこと、面倒だったこと、緊張したこと、そんなことは皆忘れて、現実的な成果だけが、あなたの人生に残っていくのです。
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