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I want が言えない社会

外国映画(特に米国映画)などを見ていると、上司に向かって堂々と「もっと高い地位にしてほしい」「もっと給料をあげてほしい」と要求するシーンが出てきます。

これは(多分)日本にはなじまない行動でしょう。

どうも日本の企業社会というのは、自分から言い出さず、誰かに認めてもらって、評価されると、希望の役職や高い給料がもらえるというシステムのようです。

これはもちろん、企業だけではありません。
学校、大学などでもそうなのではと推測します。
まずは先生の良い子にならなくてはいけない。

「空気を読んで」積極的に発言すべきときには発言し、ここは黙っていたほうがいい、というときには黙る。
そういう暗黙の前提があります。

その暗黙の前提がわからないと、「KY」と言われたりするのでしょう。

特に社会の価値観や、多数派の意見を取り入れがちな神経質の人や、滅私奉公的価値観を持つ「うつ」傾向の人は、過度に「良い人」を演じがちです。
時には時代遅れと感じるほど、伝統的な価値観を取り入れた人が多い。

もしここが日本ではなく、自分の意見を積極的に言って、ほしいものをほしいと言うことが美徳である社会なら、問題はないでしょう。

けれど、自分からほしいということは「はしたない」、自己主張も適度でないと後ろ指さされると信じている人が、もし神経質だったら…苦しいことになるでしょう。

神経質の人は、「うつ」的な人のように「滅私奉公」はできない。
自分の内奥に必ず強烈な欲求を持っています。
ところが、それを表現することは「はしたない」「してはいけない」という、相反するポリシーで生きている。

この葛藤が苦しいのです。

その仕事を自分がやってみたいと思うけれど、やはり誰かに推薦されてからにしよう・・・などと考えているうちに、積極的な人に「私、やります」と先を越されて、悔しい思いをする。

そんな経験があるかたが多いのではないでしょうか。

そして心の隅では、どこか「自分は行儀よくルールを守っていたのに、あいつはKYだ」などと、人を恨む気持ちが出てきたりする。

単に「I want」と言えばよかったのですけれどね。

時として、神経質は自分の欲求自体、「はしたない」と考えてしまうこともあります。
「ほしがることは、みっともない」

でも「ほしいものは、ほしい」のです。
まずは自分でそれを認めると、少し楽になります。
他人に対して、妙にひねくれた嫉妬心を持ったりしなくてすみます。
それは嫉妬ではなく、ただの努力目標に変化しますから。

ただ、「I want」と表明すれば何かが得られるという、単純なことだけではありません。
たとえば、昇進させてほしいと言えば、その昇進と引き換えに、責任と努力を約束したことになります。

もしかしたら、人はこの「I want」と引き換えに降りかかる事態や責任を回避したくて、ほしいと言えないこともあるのかなと思います。

しかし、本当にほしいもの、本当にやりたいことを目指し始めたら、社会的な暗黙の前提や、責任回避の葛藤などは瞬時に突破できる(あるいは消失すると言ったほうがいいのかもしれない)ものですけれどね。


アンジェラ

      
前回に引き続き送っていただいた薔薇の写真(アンジェラ)

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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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