見えるもの、見えないもの
先日、読書していたら面白い話に出会いました。養老孟司氏の対談集の言葉です。
「昔は英米人には肩こりはないって思われていた。『肩こり』っていう言葉がないから、肩はこらない。けれど概念を導入した途端に彼らも肩こるわけですよ。で、マッサージが流行ったりして(笑)。つまり(人間は)意識の中にないものは存在しないって思い込んでいるんです」
「ある心的な傾向を持つと、見えないんですよ。(中略)脳というシステムはあらかじめある立場を取っちゃう。そういう立場を取っちゃうと、当然見えるものも見えなくなるんです」
たとえば輪廻転生を当然のこととして信じる仏教国では、なぜか生まれ変わりの体験談が非常に多い。キリスト教圏では、聖母マリアが出現する頻度が高いなどのことは、これに関連するだろうと言っています。
なるほどと面白く読みました。
これに関連しているかもしれませんが、常々不思議に思っていたことは、精神療法の世界でもそのときに流行の障害というものがあり、それが移り変わるのです。
たとえば、3,40年くらい前から「解離性同一性障害(多重人格障害)」という診断を受ける人が非常に増えてきました。
これ自体は、日本でも1920年頃、中村古峡が「二重人格の女」という本を書いており、以前から稀にですがあったことです。
ところが、多重人格を扱った本がベストセラーになったり、映画ができたりすると、爆発的に人数が増えました。
そのブーム(?)が下火になると、今度は「境界性人格障害」の人が話題となり、増えてきました。
精神療法の世界では、その理解のしかた、対処法などの本が続々出されました。ところが、現在では、あまり話題になりません。
そして現在増えているのが「発達障害」の人たちです。ものすごい数の人たちが、発達障害と診断されているようです。
この「発達障害」も、今までなかったわけではありません。
いたけれど、昔は名前がなかったので、こういう人たちは認識されなかったのです。
不謹慎ながら、次にはどんな障害が流行するのだろうと思ってしまいます。
今話題のトランプ大統領は、「自己愛性人格障害」だなどと言われていますが、次はこのあたりでしょうか。
「ためこみ症」でしょうか。
人の見る目が変わり、困難をもっている人たちが「発見」され、対処のしかたが考えられるというのは、それはそれでいいことだと思います。
つまり困難をもっている側も、対処する医療機関や心理相談の人たちも、その概念を知ることによって「見える」ようになるのですね。
しかし、この人はこの障害だと特定することによって、他の部分は見えなくなるという場合も多いでしょう。
「発達障害」だけでなく、日常的な例で言えば、「この子はボーっとしている」と認識してしまうと、いくら俊敏な部分があっても、その部分は見えなくなってしまう。
他人を見る時には、見えていない部分もあるという認識があれば、早急な断定で人を決めつけることは控えるようになるかもしれません。
それにしても、最初にあげた養老孟司氏の言葉は、人間の脳の限界を表していて興味深いことです。
そもそも、人間にはすべてが見えているわけではなく、見えていないもののほうが多いのでしょうね。
そんなことを考えると、未知の領域に対して謙虚な気持ちを覚えるとともに、もしかしたら、まだこれからいろいろなものが見えるかもしれないと、ちょっとワクワクします。
あ、お化けとかは見たくないですけれどね。
「昔は英米人には肩こりはないって思われていた。『肩こり』っていう言葉がないから、肩はこらない。けれど概念を導入した途端に彼らも肩こるわけですよ。で、マッサージが流行ったりして(笑)。つまり(人間は)意識の中にないものは存在しないって思い込んでいるんです」
「ある心的な傾向を持つと、見えないんですよ。(中略)脳というシステムはあらかじめある立場を取っちゃう。そういう立場を取っちゃうと、当然見えるものも見えなくなるんです」
たとえば輪廻転生を当然のこととして信じる仏教国では、なぜか生まれ変わりの体験談が非常に多い。キリスト教圏では、聖母マリアが出現する頻度が高いなどのことは、これに関連するだろうと言っています。
なるほどと面白く読みました。
これに関連しているかもしれませんが、常々不思議に思っていたことは、精神療法の世界でもそのときに流行の障害というものがあり、それが移り変わるのです。
たとえば、3,40年くらい前から「解離性同一性障害(多重人格障害)」という診断を受ける人が非常に増えてきました。
これ自体は、日本でも1920年頃、中村古峡が「二重人格の女」という本を書いており、以前から稀にですがあったことです。
ところが、多重人格を扱った本がベストセラーになったり、映画ができたりすると、爆発的に人数が増えました。
そのブーム(?)が下火になると、今度は「境界性人格障害」の人が話題となり、増えてきました。
精神療法の世界では、その理解のしかた、対処法などの本が続々出されました。ところが、現在では、あまり話題になりません。
そして現在増えているのが「発達障害」の人たちです。ものすごい数の人たちが、発達障害と診断されているようです。
この「発達障害」も、今までなかったわけではありません。
いたけれど、昔は名前がなかったので、こういう人たちは認識されなかったのです。
不謹慎ながら、次にはどんな障害が流行するのだろうと思ってしまいます。
今話題のトランプ大統領は、「自己愛性人格障害」だなどと言われていますが、次はこのあたりでしょうか。
「ためこみ症」でしょうか。
人の見る目が変わり、困難をもっている人たちが「発見」され、対処のしかたが考えられるというのは、それはそれでいいことだと思います。
つまり困難をもっている側も、対処する医療機関や心理相談の人たちも、その概念を知ることによって「見える」ようになるのですね。
しかし、この人はこの障害だと特定することによって、他の部分は見えなくなるという場合も多いでしょう。
「発達障害」だけでなく、日常的な例で言えば、「この子はボーっとしている」と認識してしまうと、いくら俊敏な部分があっても、その部分は見えなくなってしまう。
他人を見る時には、見えていない部分もあるという認識があれば、早急な断定で人を決めつけることは控えるようになるかもしれません。
それにしても、最初にあげた養老孟司氏の言葉は、人間の脳の限界を表していて興味深いことです。
そもそも、人間にはすべてが見えているわけではなく、見えていないもののほうが多いのでしょうね。
そんなことを考えると、未知の領域に対して謙虚な気持ちを覚えるとともに、もしかしたら、まだこれからいろいろなものが見えるかもしれないと、ちょっとワクワクします。
あ、お化けとかは見たくないですけれどね。