災害に思う
福岡の水害で被害にあわれたかたがたへ、心よりお見舞い申し上げます。
たまにしかつけないテレビのスイッチを入れると、ニュースで避難所にいるかたがたの映像。
今まで何回、こういう映像を見たかなと思います。
東日本大震災のとき、熊本地震のとき、そして時折の水害や台風のとき、それから今回の福岡県での大水害。
一瞬にして家財のすべてを失うという悲運にみまわれたかたが大勢いらっしゃいます。
安定したものと思っていた自分の生活が、すべて流れていってしまうという恐ろしさ。
明日も人生がずっと続くと思っていたのに、それが突然途切れてしまう無念さ。
他人事ではなく、日本に住んでいる限り、明日は我が身であるのかもしれません。
あるいは、この地球に住んでいる限り、と言い換えたほうがいいのかもしれませんが。
人間の活動のせいなのか、あるいは地球という生命体の必然の過程なのか、地震の多さ、天候の異変が、最近加速してきているような気がします。
地球自体が人間の生存に適さなくなってきているのに、おかまいなく戦争で殺し合ったり、核兵器で武装したりする一部の指導者の無責任さ。
自分さえよければあとの人はどうでもいいという思想なのでしょうか。
どこまでが人間のせいで、どこまでが自然の異変なのかはわかりませんが、人間の営みが自然の異変に加担しているのは否めないでしょう。
自然の敵は人間なのでしょうね。
さて、この時期にちょうど昔林業をやっていたかたのお話を伺う機会がありました。
そのかたは、もう林業はやめているのですが、その事情を話してくださいました。
昔は、山から立派なひのきを2本切り出して売れば、子どもを大学に行かせられるぐらいのものになったそうです。
ところが、安い輸入木材のせいで、だんだん木材の値段が下落し、林業では食べていけなくなってきた。
そして、人手不足、資金不足で山の手入れができなくなってきた。
山林はほとんど放ったらかしにせざるを得ないということなのだそうです。
間伐という、生かすべき樹を残して、他は適宜伐採し、森林を健康なものにするということをしていないと、土壌が弱くなり、水害などのときには樹木が根こそぎとれてしまうとおっしゃっていました。
特に以前よく植林された、杉、ヒノキなどは根が浅くて、大雨のときにはそれが土とともに流れてしまう。
そのかたは、「このままでいくと、日本の山は全部崩れてしまう」とおっしゃっていました。
そのお話が今回の福岡の水害にあてはまるかはわかりません。
そのかたは東北のかたなので。
東北に行くと、山々の樹木の豊富さに圧倒され、なんだか安心感を覚えたものですが、それでもリスクがあるのですね。
植林が悪いわけではなく、自然林だってそういう事態は起こるという説もあります。
それだけ、この頃の気象が異常だということなのだそうです。
かといって山を全部コンクリで固めてしまったところには住みたくない。
これだけ変化がある豊かな自然に恵まれているということは、一方でいろいろな気象の変化によって災害にみまわれる可能性が高いということなのでしょうか。
災害の前に人間は無力。
結局のところ、私たちができることは、与えられている時間を精一杯生きることでしかないのでしょうね。
たまにしかつけないテレビのスイッチを入れると、ニュースで避難所にいるかたがたの映像。
今まで何回、こういう映像を見たかなと思います。
東日本大震災のとき、熊本地震のとき、そして時折の水害や台風のとき、それから今回の福岡県での大水害。
一瞬にして家財のすべてを失うという悲運にみまわれたかたが大勢いらっしゃいます。
安定したものと思っていた自分の生活が、すべて流れていってしまうという恐ろしさ。
明日も人生がずっと続くと思っていたのに、それが突然途切れてしまう無念さ。
他人事ではなく、日本に住んでいる限り、明日は我が身であるのかもしれません。
あるいは、この地球に住んでいる限り、と言い換えたほうがいいのかもしれませんが。
人間の活動のせいなのか、あるいは地球という生命体の必然の過程なのか、地震の多さ、天候の異変が、最近加速してきているような気がします。
地球自体が人間の生存に適さなくなってきているのに、おかまいなく戦争で殺し合ったり、核兵器で武装したりする一部の指導者の無責任さ。
自分さえよければあとの人はどうでもいいという思想なのでしょうか。
どこまでが人間のせいで、どこまでが自然の異変なのかはわかりませんが、人間の営みが自然の異変に加担しているのは否めないでしょう。
自然の敵は人間なのでしょうね。
さて、この時期にちょうど昔林業をやっていたかたのお話を伺う機会がありました。
そのかたは、もう林業はやめているのですが、その事情を話してくださいました。
昔は、山から立派なひのきを2本切り出して売れば、子どもを大学に行かせられるぐらいのものになったそうです。
ところが、安い輸入木材のせいで、だんだん木材の値段が下落し、林業では食べていけなくなってきた。
そして、人手不足、資金不足で山の手入れができなくなってきた。
山林はほとんど放ったらかしにせざるを得ないということなのだそうです。
間伐という、生かすべき樹を残して、他は適宜伐採し、森林を健康なものにするということをしていないと、土壌が弱くなり、水害などのときには樹木が根こそぎとれてしまうとおっしゃっていました。
特に以前よく植林された、杉、ヒノキなどは根が浅くて、大雨のときにはそれが土とともに流れてしまう。
そのかたは、「このままでいくと、日本の山は全部崩れてしまう」とおっしゃっていました。
そのお話が今回の福岡の水害にあてはまるかはわかりません。
そのかたは東北のかたなので。
東北に行くと、山々の樹木の豊富さに圧倒され、なんだか安心感を覚えたものですが、それでもリスクがあるのですね。
植林が悪いわけではなく、自然林だってそういう事態は起こるという説もあります。
それだけ、この頃の気象が異常だということなのだそうです。
かといって山を全部コンクリで固めてしまったところには住みたくない。
これだけ変化がある豊かな自然に恵まれているということは、一方でいろいろな気象の変化によって災害にみまわれる可能性が高いということなのでしょうか。
災害の前に人間は無力。
結局のところ、私たちができることは、与えられている時間を精一杯生きることでしかないのでしょうね。