やらなくてはならないこと
実は長年「やろうかなぁ」と迷っていたジム通いを始めました。
今までも何回か、いろいろなジムに入会し通いましたが、たいていは途中で飽きて挫折し、そのままになってしまいました。
昔からスポーツは苦手です。
「身体を動かすことは、自分には向いていないのだ」と思っていました。
中高時代、一回テニス部に入っていましたが、相手に球拾いばかりさせるのが苦痛でやめました。
けれど、そのとき一週間のテニス合宿というのを経験して、自分の身体が一週間でかなり変化したのを実感しました。
さて、ジムに入会して通ってみると、これが面白い。
いろいろなプログラムも面白いけれど、やはり自分の身体が運動後に変化するということが気持ちいい。
少しずつ体温も上がってきているようです(元来、低体温)。
この年齢でも、身体は変化するものなのですね。
友人からも「あなた、運動好きだっけ??」と、疑問視されています。
多分自分は勝ち負けがつくようなスポーツは嫌いだけれど、こういうトレーニング系は好きだったんだわと、自分を納得させていました。
ところが、またこのところ億劫になってきました。
なぜかなと、考えてみました。
つまり一生懸命ジムに通っていたときというのは、「もっとたいへんな仕事」を抱えていたときなのです。
それがだんだん片付いてくると、ジムに行くのが億劫になりました。
つまりジムに行くのが、仕事より楽なときには、ジムに行くのが楽しかった。
そういう精神的負担が軽くなると、ジムに行くのが負担になる。
もうひとつ、新しいことは面白いけれど、それがだんだん新鮮でなくなると惹かれなくなる。
そういうことなのですね。
そこで「楽でないことでもしっかりやらなくては」「継続しなくては」などと思わずに、価値判断せずに、その心の事実を見る。
人間の心とはそういうものなのでしょうね。
楽な方へ、面白いものの方へと流れていく。
初めは面白くても、それが自分の中で「やらなくてはならないこと」に変化した途端にイヤになる。
何が楽で、何がきついかなどということは、その時その時で相対的なものです。
非常にきつい時間のかかる仕事が出てきたときには、いつものルーティンワークなどは楽なものに感じられて、ついそっちに集中してしまう。
しかし心のなかには、その「やらなくてはならないこと」が居座っていて、不快な「やり残し感」がある。
これがひどくなると、「着手恐怖」という神経症になります。
一番大事な「やらなくてはならないこと」にどうしても手がつけられない。
いろいろな理由もあるでしょうが、自分の本当の力を見たくないという要素は大きいでしょうね。
もちろん、そういうことの解決策も森田療法のなかにはあります。
簡単なところでは、まず目の前にその「やらなくてはならないこと」に必要な道具をそろえる。
書類を出す。PC画面を開く。時間をはかる。
今まで言ってきたように「外側のものごとを使う」のです。
そして森田の言う「丸木橋のたとえ」のように、対岸の美しい景色に行きつくというイメージを使う。
方法はいろいろあります。
決して、「億劫だ」という自分の気持ちを変えようとしないのです。
まぁ、私の場合は、いつでもジムに出発できるようにジム用バッグを整えておくというのが、第一歩でしょうか。
*ジム通いがアディクションになるかた、自傷行為になるかたもいます。この記事はジム通いをお勧めするものではありません。
今までも何回か、いろいろなジムに入会し通いましたが、たいていは途中で飽きて挫折し、そのままになってしまいました。
昔からスポーツは苦手です。
「身体を動かすことは、自分には向いていないのだ」と思っていました。
中高時代、一回テニス部に入っていましたが、相手に球拾いばかりさせるのが苦痛でやめました。
けれど、そのとき一週間のテニス合宿というのを経験して、自分の身体が一週間でかなり変化したのを実感しました。
さて、ジムに入会して通ってみると、これが面白い。
いろいろなプログラムも面白いけれど、やはり自分の身体が運動後に変化するということが気持ちいい。
少しずつ体温も上がってきているようです(元来、低体温)。
この年齢でも、身体は変化するものなのですね。
友人からも「あなた、運動好きだっけ??」と、疑問視されています。
多分自分は勝ち負けがつくようなスポーツは嫌いだけれど、こういうトレーニング系は好きだったんだわと、自分を納得させていました。
ところが、またこのところ億劫になってきました。
なぜかなと、考えてみました。
つまり一生懸命ジムに通っていたときというのは、「もっとたいへんな仕事」を抱えていたときなのです。
それがだんだん片付いてくると、ジムに行くのが億劫になりました。
つまりジムに行くのが、仕事より楽なときには、ジムに行くのが楽しかった。
そういう精神的負担が軽くなると、ジムに行くのが負担になる。
もうひとつ、新しいことは面白いけれど、それがだんだん新鮮でなくなると惹かれなくなる。
そういうことなのですね。
そこで「楽でないことでもしっかりやらなくては」「継続しなくては」などと思わずに、価値判断せずに、その心の事実を見る。
人間の心とはそういうものなのでしょうね。
楽な方へ、面白いものの方へと流れていく。
初めは面白くても、それが自分の中で「やらなくてはならないこと」に変化した途端にイヤになる。
何が楽で、何がきついかなどということは、その時その時で相対的なものです。
非常にきつい時間のかかる仕事が出てきたときには、いつものルーティンワークなどは楽なものに感じられて、ついそっちに集中してしまう。
しかし心のなかには、その「やらなくてはならないこと」が居座っていて、不快な「やり残し感」がある。
これがひどくなると、「着手恐怖」という神経症になります。
一番大事な「やらなくてはならないこと」にどうしても手がつけられない。
いろいろな理由もあるでしょうが、自分の本当の力を見たくないという要素は大きいでしょうね。
もちろん、そういうことの解決策も森田療法のなかにはあります。
簡単なところでは、まず目の前にその「やらなくてはならないこと」に必要な道具をそろえる。
書類を出す。PC画面を開く。時間をはかる。
今まで言ってきたように「外側のものごとを使う」のです。
そして森田の言う「丸木橋のたとえ」のように、対岸の美しい景色に行きつくというイメージを使う。
方法はいろいろあります。
決して、「億劫だ」という自分の気持ちを変えようとしないのです。
まぁ、私の場合は、いつでもジムに出発できるようにジム用バッグを整えておくというのが、第一歩でしょうか。
*ジム通いがアディクションになるかた、自傷行為になるかたもいます。この記事はジム通いをお勧めするものではありません。
- 関連記事
-
- 「野の医者は笑う」(東畑開人著)
- やらなくてはならないこと
- セルフケア