森田療法における欲望について その2
とうとう今年もクリスマスが近づき、大晦日が近づき、お正月が近づいております。
忙しくはないはずなのに、周囲にあおられるのでしょうか、なぜか用事が増えます。
自分のなかでも、これは大晦日までにスッキリさせたいという気持ちがあるのだと思います。
そんなわけでなかなかブログに手がつけられませんでした。
「欲望」のことです。
前回は、欲望を「かくあるべし」で押しつぶさないということを書きました。
今回は、欲望によって押しつぶされている話。
ときとして、いつまでも悶々と悩み続ける方のなかに、過大な欲望を追い求めている人がいます。
欲望はあっていいもの。
しかし、その目指すところが大きすぎると、かえって自分の足りなさが意識されて苦しむのです。
「理想が高い」という言葉で言い換えることもできますが、「理想」より「欲望」のほうが近い。
理想が変わればいいというものでもなく、何かもっとお腹の底から求めている感じです。
なぜ欲望がそこまで過大になるのか。
多分、その人のどこかに、深い劣等感があるのかもしれません。
防衛機制でいうと、劣等感を「補償」するために、心のなかで大きな理想像を描き、いつかはそうなる自分、皆を見返す自分を欲しているのかもしれません。
それはそれでいい。
しかしこのような過大な欲望が自分を苦しめることがあります。
そういった欲望は、大きすぎるために漠然としている場合が多い。
だから現実の世界では、努力もしているし、いろいろなことを成し遂げてもいるのに、「もっと、もっと」という焦りがいつもある。
実際は多くのことをしているのに、まだまだ劣等感に苦しめられる。
お腹の底から欲している、この「過大な欲望」にどう対処したらいいのでしょう。
まずは、前回のブログで述べたように、これを否定したり抑圧したりしないことです。
欲望は「あっていいもの」ですから。
そして、それを持ちながら、そこに到達するまでの道のりを「具体的に」考えてみる。
イメージしてみると、その道のりのどこかで、ものすごいジャンプが必要になってくるような感じがすると思います。
自分の、欲望達成への道のりが漠然としていることを認識しましょう。
そして、ノートなどを広げて、その達成のために必要なことをひとつひとつ書き出してみる。
必ずや「中間目標」のようなものが出てくるでしょう。
たくさんの通過地点を通らないと、そこまでいけないこともわかるでしょう。
過大な欲望を持つ人は、その「中間目標」すらも達成できない自分を考え、また劣等感へと引きこもってしまうのです。
そんなときには、自分が今まで成し遂げたことも、ひとつひとつ書き出してみましょう。
「こんなこと、くだらない」と思っても、実はたくさんのことをしてきたはずです。
森田療法では「具体的に」ものごとを考えることが大事と言います。
「中間目標」すら達成できないとわかれば、もっと目標を低くする。
時としてそれは、自分の自尊心を傷つけることかもしれませんが、人はそこからしか出発できない。
苦しくても、現在の自分を認める(あるがままの自分を認める)ことによって、何から手をつけたらいいか、わかります。
そうしたらあとは簡単。ただ目の前の身近な目標を辛抱強く達成し続けるだけです。
確かに大きな目標を持ち、野心を持つことは、人を鼓舞します。
しかし時として、それをあまりにリアルに求めすぎるがゆえに、自分が傷つくこともあるのです。
劣等感のお悩み、ご相談ください お茶の水セラピールーム
忙しくはないはずなのに、周囲にあおられるのでしょうか、なぜか用事が増えます。
自分のなかでも、これは大晦日までにスッキリさせたいという気持ちがあるのだと思います。
そんなわけでなかなかブログに手がつけられませんでした。
「欲望」のことです。
前回は、欲望を「かくあるべし」で押しつぶさないということを書きました。
今回は、欲望によって押しつぶされている話。
ときとして、いつまでも悶々と悩み続ける方のなかに、過大な欲望を追い求めている人がいます。
欲望はあっていいもの。
しかし、その目指すところが大きすぎると、かえって自分の足りなさが意識されて苦しむのです。
「理想が高い」という言葉で言い換えることもできますが、「理想」より「欲望」のほうが近い。
理想が変わればいいというものでもなく、何かもっとお腹の底から求めている感じです。
なぜ欲望がそこまで過大になるのか。
多分、その人のどこかに、深い劣等感があるのかもしれません。
防衛機制でいうと、劣等感を「補償」するために、心のなかで大きな理想像を描き、いつかはそうなる自分、皆を見返す自分を欲しているのかもしれません。
それはそれでいい。
しかしこのような過大な欲望が自分を苦しめることがあります。
そういった欲望は、大きすぎるために漠然としている場合が多い。
だから現実の世界では、努力もしているし、いろいろなことを成し遂げてもいるのに、「もっと、もっと」という焦りがいつもある。
実際は多くのことをしているのに、まだまだ劣等感に苦しめられる。
お腹の底から欲している、この「過大な欲望」にどう対処したらいいのでしょう。
まずは、前回のブログで述べたように、これを否定したり抑圧したりしないことです。
欲望は「あっていいもの」ですから。
そして、それを持ちながら、そこに到達するまでの道のりを「具体的に」考えてみる。
イメージしてみると、その道のりのどこかで、ものすごいジャンプが必要になってくるような感じがすると思います。
自分の、欲望達成への道のりが漠然としていることを認識しましょう。
そして、ノートなどを広げて、その達成のために必要なことをひとつひとつ書き出してみる。
必ずや「中間目標」のようなものが出てくるでしょう。
たくさんの通過地点を通らないと、そこまでいけないこともわかるでしょう。
過大な欲望を持つ人は、その「中間目標」すらも達成できない自分を考え、また劣等感へと引きこもってしまうのです。
そんなときには、自分が今まで成し遂げたことも、ひとつひとつ書き出してみましょう。
「こんなこと、くだらない」と思っても、実はたくさんのことをしてきたはずです。
森田療法では「具体的に」ものごとを考えることが大事と言います。
「中間目標」すら達成できないとわかれば、もっと目標を低くする。
時としてそれは、自分の自尊心を傷つけることかもしれませんが、人はそこからしか出発できない。
苦しくても、現在の自分を認める(あるがままの自分を認める)ことによって、何から手をつけたらいいか、わかります。
そうしたらあとは簡単。ただ目の前の身近な目標を辛抱強く達成し続けるだけです。
確かに大きな目標を持ち、野心を持つことは、人を鼓舞します。
しかし時として、それをあまりにリアルに求めすぎるがゆえに、自分が傷つくこともあるのです。
劣等感のお悩み、ご相談ください お茶の水セラピールーム
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