「魂でもいいから、そばにいて」 ―3.11後の霊体験を聞くー
また3月11日がやってきます。
一万八千人もの行方不明者、死者を出した災害、そしていまだに廃炉のめどがたたない福島第一原発。
何年たっても傷跡は大きいまま。
そして修復などまったく不可能なのは、親しい人、家族を失った人たちの心の傷です。
そんな被災地に出る幽霊の話は、時々新聞などに取り上げられていました。
この本は、被災者の人たちの霊体験を聞き書きしてまとめたものです。
けれど、これは興味本位の本ではありません。
よく言われる怪談話を集めたものではないのです。
むしろ、そういう話は正面から取り上げられてはいません。
ホラーとか、人を怖がらせるための本ではないのです。
聞き書きされた体験は、ほとんど家族を亡くした人たちの話です。
小さな息子や娘を亡くした人、妻や夫を亡くした人、親を亡くした人たちの話です。
亡くなった人たちは、夢に出てきて、生者に語りかけます。
鉄道好きだった息子のプラレールが突然動いたり、亡くなった人の携帯が急に光ったり、亡くなった人の携帯にかけたら昔のままの声でその人が出てきたり・・・
でもなぜか、この霊体験はこわくないのです。
この世に残された人たちが、「もう一度会いたい」と願っているから、この霊体験はあの世とこの世のかけはしとなり、生きている人たちを励ますものにもなるのです。
著者は、とある医師から勧められ、被災地の霊体験を聞き始めますが、最初は科学で裏付けることのできない体験をとりあげることに懐疑的でした。
しかし、霊体験をした被災者からの言葉に背中を押されます。
「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人がいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」
著者が体験者を何回も訪ねることで、被災者は自分たちの身に起こったことを語ることができ、ある意味、彼はカウンセラーの役割をしたのかもしれません。
この本を読むうち、何度かもらい泣きをしてしまいました。
近しい人を亡くした経緯も当然語られますので、あらためて震災のむごさが実感されます。
唐突に家族を亡くしてしまうという、これ以上ないほどの悲劇が、死者の数だけ起こっているのです。
そして施設の職員や先生たちなど、津波の迫る中、他の人たちを助けようとしている最中に巻き込まれてしまった人たちが多いことに気づきます。
阪神大震災のときには、霊体験はあまり目立たなかったのに、なぜ東北に多いのか。
東北という地域に根付いた精神性、土俗、集合的無意識などが関係しているのではと著者は書いています。
あの大震災を忘れないためにも、人と人との絆を実感するためにも、ご一読をお勧めします。


一万八千人もの行方不明者、死者を出した災害、そしていまだに廃炉のめどがたたない福島第一原発。
何年たっても傷跡は大きいまま。
そして修復などまったく不可能なのは、親しい人、家族を失った人たちの心の傷です。
そんな被災地に出る幽霊の話は、時々新聞などに取り上げられていました。
この本は、被災者の人たちの霊体験を聞き書きしてまとめたものです。
けれど、これは興味本位の本ではありません。
よく言われる怪談話を集めたものではないのです。
むしろ、そういう話は正面から取り上げられてはいません。
ホラーとか、人を怖がらせるための本ではないのです。
聞き書きされた体験は、ほとんど家族を亡くした人たちの話です。
小さな息子や娘を亡くした人、妻や夫を亡くした人、親を亡くした人たちの話です。
亡くなった人たちは、夢に出てきて、生者に語りかけます。
鉄道好きだった息子のプラレールが突然動いたり、亡くなった人の携帯が急に光ったり、亡くなった人の携帯にかけたら昔のままの声でその人が出てきたり・・・
でもなぜか、この霊体験はこわくないのです。
この世に残された人たちが、「もう一度会いたい」と願っているから、この霊体験はあの世とこの世のかけはしとなり、生きている人たちを励ますものにもなるのです。
著者は、とある医師から勧められ、被災地の霊体験を聞き始めますが、最初は科学で裏付けることのできない体験をとりあげることに懐疑的でした。
しかし、霊体験をした被災者からの言葉に背中を押されます。
「霊体験なんてこれまで信じたことがなかったのに、自分がその体験者になって、頭がおかしくなったんじゃないかと思っている人がいます。同じような体験をした人が他にもたくさんいるとわかったら、自分はヘンだと思わないですよね。そういうことが普通にしゃべれる社会になってほしいんです」
著者が体験者を何回も訪ねることで、被災者は自分たちの身に起こったことを語ることができ、ある意味、彼はカウンセラーの役割をしたのかもしれません。
この本を読むうち、何度かもらい泣きをしてしまいました。
近しい人を亡くした経緯も当然語られますので、あらためて震災のむごさが実感されます。
唐突に家族を亡くしてしまうという、これ以上ないほどの悲劇が、死者の数だけ起こっているのです。
そして施設の職員や先生たちなど、津波の迫る中、他の人たちを助けようとしている最中に巻き込まれてしまった人たちが多いことに気づきます。
阪神大震災のときには、霊体験はあまり目立たなかったのに、なぜ東北に多いのか。
東北という地域に根付いた精神性、土俗、集合的無意識などが関係しているのではと著者は書いています。
あの大震災を忘れないためにも、人と人との絆を実感するためにも、ご一読をお勧めします。
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