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人の関心事、自分の関心事

いろいろなかたのお話を聞いていると、人が興味を持っているもの、関心を持っているものは、面白いほど異なっているのだなぁと思います。

ある人の一番の関心事は、自分の健康のこと。
またある人の関心事はお金のこと。
あるいは、どうしたら仕事で成功することができるか、どうしたらいい役職を手に入れることができるかに集中している人もいます。
旅行が大好きで次の休みにはどこに出かけようか、いつも考えている人もいる。
食べることが大好き、音楽が大好き、絵を描くことが大好き・・・・人の興味の対象は各方面に無数にあります。

それは、ごく普通で、健康的とも言えます。
けれど神経症的になると、他の人から見たら「なんでそんなに細かいこと?」と思うことに興味・注意が限局的なものになります。
そして、それ以外のことに殆ど注意が向かなくなります。

自分の視線が気になり、だから他人の目の動きにも過度に敏感になる人。
自分の匂いが気になる人、自分の手や声が震えると思ってそこに注意が集中する人。
容姿が気になり、他の人の容姿と自分を比べ、整形しようかと迷う人。
顔の表情が気になる人。集団の中にいる時だけ自分の言葉や一挙手一投足がぎこちなくなる人。
身体が揺れると気にする人や、呼吸がいつおかしくなるかと気にする人。

これらは全部自分のことですが、自分以外のことに集中することもあります。
自分の周りのひとつの音にだけ集中する、あるいは手についた(と思われる)汚れにだけ気が向く。
嫌いな人がそばにいると、気になって何もできなくなる。

ひどくなると、自分の世界がそのことだけをめぐって展開するようになります。

これは、高良理論(森田正馬の弟子・高良武久が理論化した森田療法)によると「部分的弱点の絶対視」ということになります。
ささいな欠点を重大なことのように思ってしまうということです。

そしてこの欠点さえなければすべてうまく行くと考えてしまうのが「防衛単純化」。
なぜそうなるのか?
その背景には、その人にとって、本当は現実に不安のタネがあり、それに対して自分は立ち向かうことができないから、敵を細かいことに絞るという無意識の心の動きがあります。

そしてその結果、「手段の自己目的化」ということが起こります。防衛単純化で作り上げた「敵」をやっつければ、自分はきっと幸福になれる、すべてうまく行くと考えてそれに邁進する。

たとえば、自分の視線を「普通」にしようとするとか、自分についたばい菌をすべて洗い流そうとする。
頭で考えれば不可能とわかっていることを、それでもやってしまうのは、自分のなかに大きな不安があるからです。

そういう細かい部分にとらわれて、にっちもさっちもいかなくなっているとき、「他の人はまったく違うことに関心があるのだ」ということを思ってみるのもいいかもしれません。

なぜなら、こういうふうにひとつのことにこだわっている時、その人は周り中の人が自分のこの弱点を見ているような気がしている。
見透かされているような思いがあるのです。

けれど人の興味は千差万別。人の生き方も千差万別。
誰もあなたの視線など気にしていないし、あなたの表情を一生懸命見てなどいない。
他の人には他の人の興味の対象があるのです。

そして日常、たいていの人の興味の焦点は、いつもあちらからこちらへと移っているのです。

もしあなたの興味がそうやって、軽くあちこちに行くようになったら、自分の心のとらわれから抜け出す第一歩。

そのまま心を遊ばせていれば、「好奇心」という眠っていた資質が目をさまし、それが「とらわれ」からの脱出へと導いてくれるでしょう。

コスモス

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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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