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対立と融和

新しい年になりました。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は、世界のあちこちで対立が深まった年でした。
国と国との対立や人種間の対立、宗教間の対立、主義の対立。
国の代表が融和でなく、対立をあおっているという憂うべき事態も目立ちました。

外の国やグループを「敵視」して、対立をあおるというのは、昔から施政者やリーダーがよくとる手段です。
そうすれば国内あるいはグループ内が、危機感のなかで簡単にまとまるからです。
そしてリーダーに対する期待感のようなものも増します。

ただただ人の信任を得たいだけのチープなリーダーであれば飛びつく簡単な方法です。

その反対に「融和」するということは、対立することよりずっと難しいことのように思われます。

異なるものを認めなくてはならないし、そのためにはこちら側がしっかりと自立していないとならない。
融和には、飲み込まれる恐怖が伴うからです。
対立するよりもずっと強さが必要です。

ニュースを見ながら、そんなことを思って年を越し・・・。
でも対立と融和は、人間の心の中にも起こっているのかなと思いました。

どうやら負け嫌いの人にとっては、外の人が競争相手、対立相手になることが多そうです。
それだけならまだしも、自分のなかの「何か」が気に入らないと、自分自身さえ対立相手になってしまうことがあります。

こんな自分は嫌だ、こんな能力では嫌だ、こんな性格は嫌だ、こんな気持ちは嫌だ。
そうやって分割できない自分のなかに対立相手を作ってしまったら、とても悲惨なことになります。
嫌いな自分といつも一緒にいなくてはならない。
嫌いな部分があるから、永遠に自分を認めることができない。

この場合の融和とはどういうことでしょう?

嫌いな自分は私の理想(価値観)とは違うけれど、それはまぎれもなくそこにある「事実」。
「イヤ」という感覚はあるし、違和感もあるけれど、しかたなくそのままにしておくしかない。
しかたなく、そこから始めるしかない。

無理やり自分のなかの敵を作り変えようとすることで、もっと苛烈な戦いが起こってくることが予想されます。

あるいは無理やり好きになる必要もないのかもしれません。
本当のところ、それはただの「事実」であって、それ以上でもそれ以下でもない。

私たちはただその「事実」と共存し、淡々と毎日を生きていくしか方法はないのかもしれません。

そのうち、嫌いな私も変化し、私自身の価値観も変化し、知らず知らずのうちに自分自身のなかで融和していくものなのでしょう。

新年早々、抽象的になりましたが、何を言っているのかはおわかりいただけると思います。

それにしても、これ以上、対立や争いのニュース、対立をあおるニュースなどを見たくないと思う年明けです。


福寿草

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融和は遠そう・・

12月にグリーフワークに行ったのですが、「小さい頃の自分にお手紙を書く」というワークで「あんたが全部悪かったんじゃないん!」と激しく責める手紙を書いて、よせばいいのに手をあげて手紙を読み場を凍らせるというトラウマの上塗りのようなことになってしまいました・・。自分との融和っていつになるのかな・・死ぬまで対立してるかも・・。

Re: 融和は遠そう・・

ともさん コメントありがとうございます。興味深い体験ですね。なぜそう書くのか、なぜ手まで上げてしまうのか。そこを考えてみると、また違う角度からご自身がみえるかもしれません。いろいろな体験を積みながら自己洞察をしていくことも融和への道かもしれませんね。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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