常識と非常識と「かくあるべし」
最近、カウンセリングの仕事とは関係がないところで起きたことで悩まされています。
ある人に常識では考えられないような裏切り行為をされました。
このことについて、あまり詳しく話せませんが、相手は多分自己愛性人格障害のかたと思います。
こういう人は、平気で嘘をつく。
自分の目的達成のためには、相手を平然と利用する。どんな手も使う。
つまり私たちの「常識」の範囲外のことをするのです。
だから「常識的」な人は、まさかという思いで虚をつかれて唖然とするばかり。
たいていの人は、こういう経験をしたことがあるのではないでしょうか。
自分は「真面目」にやっているのに、常識はずれのことをされ、出し抜かれて怒ったことはありませんか?
ところがこういう自己愛性人格障害的な人は、良心的な人たちが絶対使わない手段で、(だからこそ)結構上へと昇っていくのですね。
世界の指導者って、このごろそういう人が多いような気がする・・・。
勧善懲悪とは、まったく関係ない世界が事実としてあるのです。
普段カウンセリングに来るかたがたは、真面目に悩んでいるのですから、こういう人に比べたらまるで聖人君子です。
他人の心情や常識を踏みにじっていくような人には絶対になりたくない。
そんなことをするくらいなら、出世などしなくてもいいし、お金持ちになどならなくていい―と思っている感じです。
そして常識的なことについて、非常に敏感です。
言葉を変えると、「固い」とも言える。
「変な人」と思われたくないので、一生懸命常識的であろうとするのです。
それはそれで安全な道でもあります。
しかし上記のような常識をまったく無視する人は例外ですが、一般的な「常識」というものは、どちらかといえば相対的なものです。
時と場合によって変わってくることもあるし、その人の価値観によってそれぞれだったりします。
神経質の人は「かくあるべし」が強いので「これは常識だろう」と思うことが、かなりきっちりしていて、いろいろなことに「ルール違反!」と感じることが多いのかもしれません。
よくおっしゃるのは、「電車のなかで他人にイライラしてしまって仕方ない」「他の人がルール違反をしていると思うと怒りを抑えられない」などということ。
自分を厳しく律しているだけに、他人が違うことをすると「なぜ? 違うじゃない!」とイライラするのです。
「かくあるべし」が多くて、自他に厳しいと、ショックを受けることも多いし、毎日がきついかもしれません。
ちょうどいい柔らかさ、「いい加減さ」というのも、なかなか難しいものだなぁと思うのです。
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