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無理せず動く

8月末から先日まで、いろいろなところへ旅していました。

まずは、中国蕪湖市で開催された国際森田療法学会へ。
今回、発表はしませんでしたが、中国での森田療法が盛んなことと、ホテルなどのスケールの大きさにびっくり。

9月末には、岡山市での生活の発見会瀬戸内研修会へ。
なつかしい方々にお会いできました。
このときの私の話はそのうち、原稿化する予定です。

そして先週は、浜松市での日本森田療法学会に参加してきました。

かなりタイトなスケジュールでしたが、なんとか乗り切りました。

昔から、無理はしないようにしています。
自分の身体のほうも、オーバーワークだとすぐ感知できるようになっていて、風邪をひいたり、お腹をこわしたりします。
それで、すぐ休養をとります。
そのためか、この歳でも、あまり大きな病気は見つかっていません。

今年もタイトなスケジュールを見越して、中国でも浜松でも、学会発表はやめておきました。
何か発表したりするという予定があると、寝ても覚めてもそっちのほうに気持ちが行ってしまうので、気持ちだけでくたびれます。

そういう自分の傾向を知っているので、ブレーキを踏めるようになってきました。

時々思うのですが、神経質傾向のかたで、行動できるようになってくると、欲望が目覚め、無理をなさるかたがいらっしゃるような気がします。

不安タイプ(パニック発作のかたも)は、もともと行動ができるので、発症の前にかなりの行動をして自分の身体に負荷をかけ、それが不安発作の原因になっているかたが殆どです。
こういうかたに「行動」を促しても悪化するだけです。
この場合、不安発作はむしろ「休め」という身体からの警告ですから、それに素直に従って休まなくてはならない。

それぞれの神経症タイプによって、身体への向き合いかたが違うように思います。

どんなタイプでも、「思考」が優先するのが特徴ですから、身体より頭が「こうしなくてはならない」と思う事のほうが先にくるようです。

「かくあるべし」と「欲望」で突っ走るタイプと、「不快感」を重視してなるべく行動しないタイプのかたがいるような気がします。

身体の本当の声を聴くことができるようになるには、どんなところが自分の実際の身体能力かを見極めること。

「こうしなくてはならない」「こうしたい」と思って行動している自分がいるのは当然。
ただ、その経験の持続のなかで、自分の現実を振り返ってみる。

無理だと思っていたことができた。そういう体験も大切。
欲望のままにやってみたけれど、身体はヘトヘト。そういう体験にも気づく。

そのような体験のなかで、自分には無限の能力も無限の体力もないことがわかるでしょう。
そうしたら、あとは、どうしたら自分の現実の体力と折り合いをつけていくのか、自分の現実の能力でできることは何なのか考える。

身体の事実、能力の事実を見ることは、神経質の人には結構むずかしいことです。

とにかく、無理せず、でもなんとか動く。
そんなふうに毎日を過ごせたらと思っています。


中国

中国蕪湖市のお寺で

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身体と相談してもよい…のですね

こんな感じで、自分の身体や体力に関する「事実」を手探りで見極めていっても、構わないのですね。

私は、最大の症状が「身体の不調へのとらわれ」であったため、「体調と相談してはいけない。どんなに身体が苦しくても、行動しなければならない」と、自分に言い聞かせ続けてきました。
「どんなに疲れがひどいと感じても、それは真の疲労ではなく、単なる疲労感・主観的な気分にすぎない。どんなに無理だと感じても、実は全然無理ではないのだ」と、主観的にはものすごい無理を続けた結果、ありふれた身体の病気が急激に悪化して、死にかけました。
その際は、たとえ命をとりとめても、後遺症で内部障害となる危険性もあったそうです。

そんな状況から、なんとか無事に生還してから、奇しくも、今日でちょうど20年になります。

当時は、この体調の悪さやひどい疲れは、無理をしないで休養をとった方がいいもの=理由はともあれ実際に現象として生じているものなのか、そのままに放置して行動した方がいいもの=単なる主観的な気分にすぎないもの・思想の矛盾や精神交互作用により、過大に感じすぎているだけのものなのか、その判別がつきませんでした。

(近くには森田療法家がいないので)普通の精神科医にそうしたことを相談しても、私が何を尋ねようとしているのかが、うまく伝わらないようでした。
「自分の症状が心因性のものだと認められずに、身体に実際に異常が生じているのではないか、病気が存在するのではないかと疑っている」という捉え方をされてしまいました。

それでも、そうやって死にかけてしまうことによって、その時期の自分は相当な無理をしていた=無理だと感じたのは、単なる主観的な気分ではなく、実際に無理であった、ということが実証されました。なので、それ以降は、自分の身体と相談することを、少しは己に許せるようになりました。

それでもやはり、身体の不調へのとらわれを脱するというか、体調を気にすることを忘れる、忘れているということ自体も普段は気づかない……というような状態になった今でも、真の疲労と単なる疲労感の判別には、かなりの困難が伴います。

「身体それ自体はいたって健康な人間が、こんなに疲れやすいはずはないのだから、これは、単なる疲労感にすぎないのではないか」と疑ってしまい、自分の疲れた感じをそのまま信じることができないというか、信じてはいけない気がするのです。

そのため、疲れがひどい時に、辛くても行動することではなく、休む方を選んでしまった場合に、「こんなことをしているから、いつまで経っても治らないんだ」と、自分を責めてしまうことも、少なくありません。

体力・気力・生命エネルギーの類いには個人差が大きいでしょう。また、メンタルの問題を抱えていれば、それゆえに異常なまでに疲れやすくなったり、長時間の睡眠が必要になったりすることもあるのでしょう。
自分のこれは、そういう心因性の疲れ(森田とは別の心理的アプローチを要するもの)なのだと解し、疲れがひどいと感じる時には、無理をしないで休むことが安んじてできれば、楽になるのでしょうが。


こんな悩みを抱いていた身にとって、この記事は、「目的本位の行動も、自分に無理のない範囲でよいのかも」という、妥協点を指し示してくれた気がします。

長々とすみませんでした。お読み流しくださいませ。

No title

ちょうど私も中国の上海に一週間行ってきました。主人の赴任先です。肌の色、髪、文字に近しい民族であることを実感して帰ってきました。森田療法が盛んだなんてーちょっとうれしいです。疲れて帰ってきたのに、私はすぐに義務のように行動していました。ああ、まさにタイムリーなお話でした。この台風の中、罪悪感なくちょっとお休みしようと思います。でも、すぐに中国語を勉強しようかな等と考えている自分の傾向も思い知らされました。アクセルとともにブレーキも上手に使いこなせると楽だろうなあー休んでいる時間も楽しんでいる自分にいつのまにか気が付いている。そうなれたらなーきっと同じようにちょっと休もうとおもった人がたくさんいると思います。有難うござます。

Re: 身体と相談してもよい…のですね

ハナさん 様 長い間、身体のことでお悩みだったとのこと、大変でしたね。それにまた森田療法の解釈違いもあったご様子、そのあたりもきつかったですね。症状にお悩みのかたは、たいていの場合、「現実」と「自分の頭のなかの幻想」の区別がつきません。それが自分の身体のことになると、また難しくなりますね。個々の場合でいろいろと違うので、このコメント欄でどうこうは言えませんが、「かくあるべし」での森田療法の解釈については、またこのブログで書いてみようかと思います。コメントありがとうございました。

Re: No title

kinako様 上海に行って来られたんですね。上海は現代的な大都会だったことと存じます。地方都市の蕪湖市ですら非常に現代的でしたから。中国で森田療法が盛んなのは東洋思想的な基盤が理解されやすいことと、メンタルヘルス財団が中国への普及に尽力なさったからですね。でも「他の国に比較して」ということで、「ものすごく盛ん」というわけではありません(笑)。それにしても「休む」ことに罪悪感を感じる人は多いようです。真面目な人ほどその傾向がありそうです。けれど森田入院療法って、最初「何もしない状態(絶対臥辱)」から始まるのですよね。このあたりのことを考えると面白そうです。

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プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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