放射能の話 その2
今年の3月14日、Aさんは、毎朝日課にしていたウォーキングをやめると、仲間に宣言しました。
いつもは広々として気持ちがいいはずの空間の空気が重く、不快で、不気味に感じたのです。
「この空気は吸いたくない」と、直観的に思い、それから、外出は最低限に控える毎日となりました。
普段は出好きで、用事は出来るだけ歩いてするほうだったのですが。
4月、5月、夜中に右手首、手の甲がむずがゆく、起きて水で冷やしましたがおさまりません。
見ると、一、二か所、赤くブクっと三角形に盛り上がっています。
そのときは、昨年の手首骨折の際にレントゲンをかけた影響だろうかと、恐ろしく感じたそうです。
そして頭痛を感じ、強い眠気を感じました。
そんなことが起こる時は、布団を干した日の後ということに気づきました。
またその頃から、足に、米粒大の紫斑ができるようになりました。
特に強い反応が出たのは、植物に触れたときでした。
5月、枝払いをして7,8日置いてあったその下の枯葉を素手で始末したところ、頭痛がして寝込むほどになりました。
その後は気をつけて手袋をして草木に触っていましたが、うっかり素手で触ってしまったときには、手の辺りに赤いボツボツができたり、赤くヒリヒリしたりということが度々起こりました。
いずれも、ビワの葉のエキスをつけ、時間がたつと消えていくのです。
8月3日、NHK「あさいち」で、「草の根元1~2cmのところセシウムがたまっているので、土ははらわないこと」「苔にはセシウムが多い」と聞き、もしかしたら・・・と感じました。
Aさんは、草木が好きで、その世話をするのも好き。
しかし、草や木のまわりにセシウム濃度が高いと聞き、好きな庭いじりができなくなり、悲しくなったそうです。
反応が出たのは皮膚だけではありませんでした。
3月17日、24日にひどい下痢をしました。(その後も三回ほど下痢はしています)
あとから新聞を見て、これは三号機の水素爆発、再溶融の直後ではないかと、考えています。
4月の初め頃、喉のイガイガ感、痛みも表れてきました。
一番症状がひどかったのは、5月22日にマスクをしながら垣根を刈り込み、23,24日に網戸から放射能と、ひどかった黄砂をとりたくて雨にあて、拭き取った後でした。
そのあと、何日か、下痢、紫斑、手の腫れ、目の腫れ、そして右足首が大きく赤紫に盛り上がったのです。
最初はわけがわからず、こわかったAさんですが、6月頃から、自分の身体は「放射能に反応する感知器なのかもしれない」と思い始めました。
そして「感知器」ならば、危険は避けられる・・と恐怖から抜け出していったのです。
被爆二世として、放射能が身体のなかに蓄積されているので、アレルギー反応として出るのだろうかと考えています。
あるいは気のせいではないかと言われそうですが、日記に記録していた身体の反応と、後から発表された放射性物質の放出量の多い日時が符合しているから、無関係ではないのではと思っています。
そしてもしそうであるならば、残念ながら、すでに関東地区も被爆地なのだということです。
直ちに影響があるレベルではないのかもしれません。
しかし、Aさんの身体に如実に表れているとおり、草木はセシウムに汚されているのです。
また、Aさんは、被爆二世には、原爆の影響がないという報道にも疑問を持っています。
2011年4月7日の朝日新聞「放射能の影響追跡60年」という記事で、「死産や奇形、染色体異常の頻度に親の影響はなかった。6種類の生活習慣病についても遺伝的影響は見られない」という結論が載っていたそうです。
そうだったらうれしいことです。しかし本当にそうなのでしょうか。
身体の何とも言えない不具合を観察し対処してきた今までの人生、そして娘さんの具合の悪さ、ここにきて3・11後の身体の異変。
やはり母の身体を通して放射能の影響が伝わっているとしか思えない、とAさんは「被爆二世」としての自分を確かめながら、言っています。
被爆二世にも三世にも、何らかの影響が出ているということを口にすることは、多くのかたに失望を与えることになるのかもしれません。
しかし、2011年8月3日のNHKの『クローズアップ現代』で、医師のかたが言ったことばがあります。
「被爆していることをみとめないと、自分の健康は守れない」
関東地区のお茶や農産物にもセシウムが付着していることは、何回も報道されています。関東地区の私たちもすでに放射能の影響下にあるのです。
被爆しているのは、福島の人たちだけではないのです。
この大震災と福島の原発事故は、Aさんにとって、今まで長い間の疑問が氷解する契機になるものでした。
この何十年もの、自分の不調や子どもたちの身体の苦労を各々個別の問題と考えて対処してきたのですが、そのわけのわからないバラバラの断片が、一つに結び付いたとAさんは言われます。
原因は原爆にあったのです。
そして同じことが福島で繰り返されたのだということです。
現在の福島の子どもたち、母親たちの不安が、Aさんにはわがことのように感じられるそうです。
そして、自分の体験を語ることが、余計な心配をまた重ねさせてしまうという辛さもあることと思います。
しかしこんな個別な事実でも語っていきたいという思い、原爆、放射能への思いも、一方にあるのだと思います。
「原爆の火で終戦を迎え、科学技術のたえまざる進歩を信じてすすめられてきた原発の火で、地、水、風、空すべてを汚してしまった今の日本!」(Aさん)
(つづく)