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森田療法の初歩

今回は、神経症真っ最中のかたのために書きます。

神経症という言葉は、現代では「不安障害」という病名になっています。
何か一つのことが気になって、そのことが頭から離れなくなり、生活にまで影響が出てくる状態のことです。

たとえば、電車のなかや狭いところが不安になって、そのために遠出ができなくなる。
鍵を閉めたかが気になって、何度も何度もそれを確認しに帰り、仕事に支障をきたす。
身体の不調が気になり、病院めぐりをし、「なんともない」と言われても納得できず、また病院へ行く。
もしかしたら、こんな自分の状態が何かおかしいと思っても、神経症だと思い至らず、一人で長い間悩んでいるかたもいるかもしれません。
こういう神経症は、森田療法で克服することができるのです。

さて、森田療法はこのようなグルグル思考(精神交互作用)を解消するだけでなく、そのような悩みを生み出す考え方の歪みや、性格にまで変化を及ぼすことができるある種の哲学的な思想です。

なのでいろいろな語彙や説明があり、本などで独学しようとすると、混乱するかたもいるかもしれません。

この「精神交互作用」を生み出す根底にあるのは、不安感と恐怖感です。
ですから、このグルグル思考をやめようと決心するだけでは、ここから抜け出すことができません。
悩んでいる人は、多大な恐怖感に突き動かされて、何度もこの思考の渦に戻って行ってしまいます。
これはとても苦しい状態です。
そして他の人の言葉なども届かない状態です。

森田はこの状態を「夢のなかの有無は、有無ともに無なり」と言っています。
夢のなかであがいている状態です。

ただし「この夢から抜け出そう」と思って努力しても抜けられない(ここが森田療法の説明で難しいところです)。
むしろその努力は「精神交互作用」を強化する方向に働くのです。
不安や恐怖感から逃げようと思ったからこそ、こういう状態を作ってしまったわけなのですから。
自分で抜け出そうとすることは、今までと同じ努力になります。

まずはその不安・恐怖のなかにそのままとどまること。
これを森田療法では「なりきる」、「往生する」と言います。
そして、現実のなかでいやいやでも目の前のことに手を出し、ゆっくりでも行動実践していくこと。

ところが往々にして、この「なりきる」というところが飛ばされて、(むずかしいですものね)「実践」のみが強調されてしまうことがあります。
そうすると、「これだけ実践したから、楽になったのではないか。症状は消えたのではないか」と「症状をはかる」ことになります。
もちろんこの「症状をはかる」行為は、症状を悪化させますね。

だから実践だけしていても、苦しさは変わらないという人が多くなります。
もちろん実践が順調に進んで、根底にあった不安感が解消されれば症状が問題にならなくなったということもあり得ます。

しかし「(症状や不安に)なりきる」という部分は、ある意味、一瞬にして違う世界に行ける体験でもあります。
それは「事実そのままになる」ことで、「あるがまま」という言葉でも表されます。

難しいようでいて簡単。
簡単なようでいて深い。

ぜひ森田療法の深さを体験してほしいものです。

「往生」についてはこちらも参考にしてください。⇒往生する



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なりきるということ

初めての投稿で失礼します。

『新版 神経質の本態と療法』の本療法の原理「観念の客観的投影」の節に次のようなことが書いてあります。(自分なりの解釈ですが)

苦痛、煩悶から離脱しようとするには二つの場合がある。
1.苦痛、煩悩、そのあるがままになりきること。
2.苦痛に対して注意を集中し、もしくはそれを観察し、自己を第三者の位置から理解しようと試みる。

自分の場合、2.の自己を第三者の位置から理解しようとすることでとらわれが減っって来たように思います。いろいろと(本を読んだり、自助グループで話したり)やっているうちに、この場面で自分がこんなふうに苦痛を感じるのは当然だなあと分ることが増えてきました。

最近のことで、よく相手の言葉や態度に傷つくことがあって、いろいろやり取り、いざこざが続いてきました。ある時、相手が自分にかけてくる言葉や態度は、どうも自分に向けられているのではなく、相手の中にある過去の怒りや恨みからきているのではないかと気づいた時(思い込みかもしれません)、不快感はありますが、傷つけられたという感じはそれほどではなくなったことがありました。

1.は本題なりきるということですが、同じく『本体と療法』「境遇の選択」のところに次のようなことが書いてあります。

ただ適当な外界境遇の手段によってのみ自然服従の境地を体得して、苦痛、煩悶を脱却することができる。

自分の置かれた周りの状況に対する心の姿勢みたいなものが、ポイントなのでしょうか。

時々、職場などで防災訓練であるとか、行事とかで役を割り当てられることがあります。昔から、人前で恥をかくのではと尻込みして終わってしまいます。役になりきることができない。なりきることは演じることに通じるかもしれませんが、あるいはこれも自分にとっては恐怖突入なのかもしれません。

森田先生が、形外会で余興をやったのも何か意味があるのでしょうか。もう高齢者に入ったので今さらとは思いますが、なりきれないということが(これもなりきることなのか)、あきらめきれないようで。

Re: なりきるということ

T様 コメントありがとうございます。コメントを書くということも、ひとつ能動的に踏み出したということです。何かを能動的に行うことで、自分を活性化できます。またこれだけ熟慮なさっているということも、素晴らしい。こうやって自分で考え続けていくことは、受動的に学ぶよりずっと大きな気づきをもたらすことでしょう。このご努力の向こうに素晴らしいものが見えてくるのではないでしょうか。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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