暴力について
私のカウンセリングルームにいらっしゃるのは、神経症のかたばかりではありません。
過去や現在、ご家族の問題で悩んでいるかたもいます。
そのなかでも、家庭のなかの暴力については、いろいろなかたからお話を聞きます。
幼少期に家族から暴力を振るわれた人、暴力を見て育った人、恋人から暴力を受けた人や家族内で配偶者から暴力を受けている人。
もちろん家族内だけでなく、学校での学生間の暴力、教師からの暴力もあります。
暴力は身近にあふれているのかもしれません。
日本では、暴力そのものが犯罪であるという認識が薄いような気がします。
ひところ大変な話題になったアカデミー賞でのビンタ事件。
あの事件についての感想が日本では様々だったのが、実に興味深く思われました。
意外なのは、暴力をふるった側の「気持ちもわかる」的な発言が散見されたことです。
「男らしい」とさえ言う人がいるのには驚きました。
妻を守るにしても、たとえば妻が暴漢に襲われたならわかります。
身体でそれを防ぐのは正当防衛でギリギリ容認される暴力でしょう。
もちろん、やりすぎれば過剰防衛です。
結局、この場合、暴力をふるったほうへ社会的制裁が下ったのは当然のことです。
テレビ中継で子供たちも見るような場で暴力をふるうというのは、社会的影響の大きさを考えても責任重大です。
ひるがえって、「こんなひどいことを言われたのだからビンタするのも当然だろう」的な発言があるのには、危うさを感じました。
これを敷衍していけば、暴力をふるわれる側も「私がこんなことをしたんだから、ビンタされても当然」と、妙な罪の意識を感じて、相手の暴力を容認してしまう。
結局、暴力的な相手に追随してしまったり、相手の暴力を認めてしまったりすることになります。
被害者の自尊心はどんどん低くなります。
暴力をふるわれたら、警察を呼んでいいのです。
たとえ親からのビンタであっても、110番していい。
警察は来てくれます。
部活や教室で先生に体罰をふるわれたとしも、これは立派な犯罪です。
後での報復がこわい、とためらうのもわかりますが、DVをふるうような人は意外に権威に弱かったり、見栄体裁を気にしたりするものです。
警察は抑止力になります。
それが抑止力にならないような凶暴な相手なら、すぐ逃げたほうがいい。
なぜなら暴力はエスカレートしていく傾向があるからです。
家庭内での暴力は隠される傾向があり、だからこそエスカレートして家庭内殺人に至ったりするのです。
「言葉の暴力」というものもあります。
言葉の暴力は相手の心に対しての攻撃です。
会社内のパワハラは殆ど「言葉の暴力」です。
SNSやネット上で意図的に相手への脅しや侮辱を書き込むのも現在では、立派な犯罪になり得ます。
親に「殺すぞ」と言われ、警察を呼んだ人の例を知っています。
「私は決して暴力を受けない。暴力はふるう側が絶対的に悪い」というしっかりした認識がいきわたってほしいと思います。
唐突に飛躍しますが、国家間だってそうですよね。
ロシア(の指導者)だってそうです。
たとえNATOに不満があろうと、ウクライナに不満があろうと、対話で解決をはかりもせずに、武力に訴えるというのは、DVと同じ。
けれど人間から暴力性をなくすことは不可能なのですよね。
それでも日本社会には法的な仕組みはしっかりあって、暴力を行使する側が有利になることはない。暴力で相手は支配できない。暴力でものごとは解決できない、ということははっきりしています。
家庭の中でも、社会でも、あらためてそれを自覚していきたいものです。
過去や現在、ご家族の問題で悩んでいるかたもいます。
そのなかでも、家庭のなかの暴力については、いろいろなかたからお話を聞きます。
幼少期に家族から暴力を振るわれた人、暴力を見て育った人、恋人から暴力を受けた人や家族内で配偶者から暴力を受けている人。
もちろん家族内だけでなく、学校での学生間の暴力、教師からの暴力もあります。
暴力は身近にあふれているのかもしれません。
日本では、暴力そのものが犯罪であるという認識が薄いような気がします。
ひところ大変な話題になったアカデミー賞でのビンタ事件。
あの事件についての感想が日本では様々だったのが、実に興味深く思われました。
意外なのは、暴力をふるった側の「気持ちもわかる」的な発言が散見されたことです。
「男らしい」とさえ言う人がいるのには驚きました。
妻を守るにしても、たとえば妻が暴漢に襲われたならわかります。
身体でそれを防ぐのは正当防衛でギリギリ容認される暴力でしょう。
もちろん、やりすぎれば過剰防衛です。
結局、この場合、暴力をふるったほうへ社会的制裁が下ったのは当然のことです。
テレビ中継で子供たちも見るような場で暴力をふるうというのは、社会的影響の大きさを考えても責任重大です。
ひるがえって、「こんなひどいことを言われたのだからビンタするのも当然だろう」的な発言があるのには、危うさを感じました。
これを敷衍していけば、暴力をふるわれる側も「私がこんなことをしたんだから、ビンタされても当然」と、妙な罪の意識を感じて、相手の暴力を容認してしまう。
結局、暴力的な相手に追随してしまったり、相手の暴力を認めてしまったりすることになります。
被害者の自尊心はどんどん低くなります。
暴力をふるわれたら、警察を呼んでいいのです。
たとえ親からのビンタであっても、110番していい。
警察は来てくれます。
部活や教室で先生に体罰をふるわれたとしも、これは立派な犯罪です。
後での報復がこわい、とためらうのもわかりますが、DVをふるうような人は意外に権威に弱かったり、見栄体裁を気にしたりするものです。
警察は抑止力になります。
それが抑止力にならないような凶暴な相手なら、すぐ逃げたほうがいい。
なぜなら暴力はエスカレートしていく傾向があるからです。
家庭内での暴力は隠される傾向があり、だからこそエスカレートして家庭内殺人に至ったりするのです。
「言葉の暴力」というものもあります。
言葉の暴力は相手の心に対しての攻撃です。
会社内のパワハラは殆ど「言葉の暴力」です。
SNSやネット上で意図的に相手への脅しや侮辱を書き込むのも現在では、立派な犯罪になり得ます。
親に「殺すぞ」と言われ、警察を呼んだ人の例を知っています。
「私は決して暴力を受けない。暴力はふるう側が絶対的に悪い」というしっかりした認識がいきわたってほしいと思います。
唐突に飛躍しますが、国家間だってそうですよね。
ロシア(の指導者)だってそうです。
たとえNATOに不満があろうと、ウクライナに不満があろうと、対話で解決をはかりもせずに、武力に訴えるというのは、DVと同じ。
けれど人間から暴力性をなくすことは不可能なのですよね。
それでも日本社会には法的な仕組みはしっかりあって、暴力を行使する側が有利になることはない。暴力で相手は支配できない。暴力でものごとは解決できない、ということははっきりしています。
家庭の中でも、社会でも、あらためてそれを自覚していきたいものです。
T.H氏撮影
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