「チェルノブイリ・ハート」紹介
さて、シリアスな話題です。
私は若いころ、今で言う「ミニ・シアター系」の映画にはよく行ったものです。
いわゆる「問題提起」的なフィルムを見るのは苦ではなかったと思います。
しかし、仕事や生活に疲れてくるに従い、そういうものが苦手になりました。
人間というのは、疲れている時には現実を忘れさせてくれる娯楽とか、楽しいことへ向かうものです。
けれど、やはりたまには現実に向かい合わなくてはと思います。
先月、東北大震災2年目にあたり、友人に勧められてこの映画「チェルノブイリ・ハート」を見ました。
(ちなみにTHUTAYAにおいてありました)
これは、2003年制作のドキュメンタリー映画。2004年にアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しています。
まだ福島第一原発の事故が起こっていないときですね。
チェルノブイリ原発事故から16年後のベラルーシ共和国を取材した映画です。
荒れ果てたチェルノブイリ原発は、当時も半径30Km以内は居住禁止。350Km以内にはホットスポットが100箇所もあり、そこでの農業などは禁止されています。
この映画が衝撃的なのは、何よりも、放射能が人体にどのような影響を与えるかが如実にわかることです。
(映画の解説によると)国土の99%が汚染されたベラルーシ共和国では、新生児の死亡率が近隣の国と比べると3倍にも及ぶということ。
そして障害児の出生率が25倍であるということ・・・
健常で生まれる子は15~20%しかいない。
画面には、障害を持って生まれたために親に捨てられた子どもたちが次々と映し出されます。
正直、つらくて目をそむけたくなるような様々な身体障害、知的障害の子たちです。
発電の利益を享受したのは、この子たちの生まれるずっと以前の人々。
それなのに、あとから生まれた子供たちが、こんなに苦しむことになるのです。
その障害のひとつに「チェルノブイリ・ハート」というものがあります。
これは生まれつき心臓に二つ穴があいて生まれてくる子供です。
今、チェルノブイリ・ハートの子どもたちはベラルーシに7000人いるそうです。
しかしベラルーシは貧しい国です。その心臓手術をする医師が少ない。
米国から来た医師が手術にあたりますが、とても追いつかず、待っている子どもたちが1人、2人と亡くなっていくという辛い現実があります。
そして甲状腺腫瘍で喉に傷を持つ子もたくさんいます。
一生、薬と縁が切れないそうです。
これがチェルノブイリ事故の16年後の姿です。
この映画には「ホワイトホース」(2008)という短編が付いています。
ある青年がチェルノブイリ原発のすぐそばにある、生まれ育った団地の部屋を再訪するというフィルムです。
事故のとき6歳だった彼は、原発が燃え上がるのを見て、面白がって友達と近くまで見に行ったという体験を持っています。
その後、避難命令が出て、何一つ持ち出せずに故郷をあとにします。
20年ぶりに訪れた家のなかで、彼は当時のままのカレンダーを見て「チクショウ、何もかも台無しにしやがって!」と怒ります。
「近親者が10人、癌で死んだ。放射能とは無関係だと言われて俺が信じると思う? 俺もそうやって死ぬんだ。とんだ犬死だろ」
フィルムが終わり、最後に衝撃のキャプションが流れます。
この青年は、撮影の一年後に病死。(享年27歳)
福島第一原発の事故を経験してしまった今、平常心でこの映画を見ることはできません。
これが未来の日本で起こってくる出来事なのだと思うからです。
福島第一原発の事故は、チェルノブイリと同じレベル7です。
なぜ私たちは、こんなにのんきに暮らしているんでしょうね?
放射能は、人間の免疫系にダメージを与え、遺伝子を傷つけます。
「ただちに人体に害を及ぼす」レベルではないけれど、長い時間をかけて人体を蝕み、子孫に影響を与えます。
そんな恐ろしいことは考えたくない、不安なことは見たくない・・・その気持もよくわかります。
しかしだからと言って、目をそらしていていいのでしょうか。
不安なものには、しっかりと不安を感じましょう。
それは必要な不安なのですから。
辛いことだから、そんなことは毎日考えてはいたくない。
でも時々でいいから、勇気を持ってこういう事実を把握することも必要。
何が「事実」なのか。
今、原発で何が起こっているのか。
それが将来、日本人にどのような影響を与えるのか。
原発のことだけではない。
どんなことでも「事実」をしっかり把握したときに、解決の歩みも始まると思うのです。
私は若いころ、今で言う「ミニ・シアター系」の映画にはよく行ったものです。
いわゆる「問題提起」的なフィルムを見るのは苦ではなかったと思います。
しかし、仕事や生活に疲れてくるに従い、そういうものが苦手になりました。
人間というのは、疲れている時には現実を忘れさせてくれる娯楽とか、楽しいことへ向かうものです。
けれど、やはりたまには現実に向かい合わなくてはと思います。
先月、東北大震災2年目にあたり、友人に勧められてこの映画「チェルノブイリ・ハート」を見ました。
(ちなみにTHUTAYAにおいてありました)
これは、2003年制作のドキュメンタリー映画。2004年にアカデミー短編ドキュメンタリー映画賞を受賞しています。
まだ福島第一原発の事故が起こっていないときですね。
チェルノブイリ原発事故から16年後のベラルーシ共和国を取材した映画です。
荒れ果てたチェルノブイリ原発は、当時も半径30Km以内は居住禁止。350Km以内にはホットスポットが100箇所もあり、そこでの農業などは禁止されています。
この映画が衝撃的なのは、何よりも、放射能が人体にどのような影響を与えるかが如実にわかることです。
(映画の解説によると)国土の99%が汚染されたベラルーシ共和国では、新生児の死亡率が近隣の国と比べると3倍にも及ぶということ。
そして障害児の出生率が25倍であるということ・・・
健常で生まれる子は15~20%しかいない。
画面には、障害を持って生まれたために親に捨てられた子どもたちが次々と映し出されます。
正直、つらくて目をそむけたくなるような様々な身体障害、知的障害の子たちです。
発電の利益を享受したのは、この子たちの生まれるずっと以前の人々。
それなのに、あとから生まれた子供たちが、こんなに苦しむことになるのです。
その障害のひとつに「チェルノブイリ・ハート」というものがあります。
これは生まれつき心臓に二つ穴があいて生まれてくる子供です。
今、チェルノブイリ・ハートの子どもたちはベラルーシに7000人いるそうです。
しかしベラルーシは貧しい国です。その心臓手術をする医師が少ない。
米国から来た医師が手術にあたりますが、とても追いつかず、待っている子どもたちが1人、2人と亡くなっていくという辛い現実があります。
そして甲状腺腫瘍で喉に傷を持つ子もたくさんいます。
一生、薬と縁が切れないそうです。
これがチェルノブイリ事故の16年後の姿です。
この映画には「ホワイトホース」(2008)という短編が付いています。
ある青年がチェルノブイリ原発のすぐそばにある、生まれ育った団地の部屋を再訪するというフィルムです。
事故のとき6歳だった彼は、原発が燃え上がるのを見て、面白がって友達と近くまで見に行ったという体験を持っています。
その後、避難命令が出て、何一つ持ち出せずに故郷をあとにします。
20年ぶりに訪れた家のなかで、彼は当時のままのカレンダーを見て「チクショウ、何もかも台無しにしやがって!」と怒ります。
「近親者が10人、癌で死んだ。放射能とは無関係だと言われて俺が信じると思う? 俺もそうやって死ぬんだ。とんだ犬死だろ」
フィルムが終わり、最後に衝撃のキャプションが流れます。
この青年は、撮影の一年後に病死。(享年27歳)
福島第一原発の事故を経験してしまった今、平常心でこの映画を見ることはできません。
これが未来の日本で起こってくる出来事なのだと思うからです。
福島第一原発の事故は、チェルノブイリと同じレベル7です。
なぜ私たちは、こんなにのんきに暮らしているんでしょうね?
放射能は、人間の免疫系にダメージを与え、遺伝子を傷つけます。
「ただちに人体に害を及ぼす」レベルではないけれど、長い時間をかけて人体を蝕み、子孫に影響を与えます。
そんな恐ろしいことは考えたくない、不安なことは見たくない・・・その気持もよくわかります。
しかしだからと言って、目をそらしていていいのでしょうか。
不安なものには、しっかりと不安を感じましょう。
それは必要な不安なのですから。
辛いことだから、そんなことは毎日考えてはいたくない。
でも時々でいいから、勇気を持ってこういう事実を把握することも必要。
何が「事実」なのか。
今、原発で何が起こっているのか。
それが将来、日本人にどのような影響を与えるのか。
原発のことだけではない。
どんなことでも「事実」をしっかり把握したときに、解決の歩みも始まると思うのです。
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