しなくてはならないこと
スマートフォンを新しい機種に変えました。
そうしたら、「リマインダー」というアプリが入っていました。
毎日の画面が出てきて、そこに箇条書きで「やらなくてはならないこと」が入力できるようになっているのです。
私はいつも符箋などに用事を箇条書きにしているので、これはいいアプリだと思いました。
そこにいろいろな用事を記入し、「今日はあれができた」「これはやり残してしまった」と、リマインダーに「済み」のチェックを入れるのが楽しみになってきました。
それにしても、やらなくてはならない用事って、次から次へ出てくるものですね。
一生懸命用事を書き入れ、チェックを入れることを続けていたら、確かに雑用の片付き方は早くなったのですが、先日、夏風邪をひきました。
なんとまた38度以上の熱が出てダウン。
どうも、疲労している感じがあります。
あんまり必死になって律儀に用事を片付けていたからかしら、とふと思いました。
「憂うつの心理」(外岡豊彦)のなかに、「うつ」に傾きやすい人の特質として、「怠らず努力を続ける生き方」という一項目があります。
この「努力」は身体の奥から湧いてくる、自然と湧いてくる気持ちで行われる努力とは違うと言います。(以下、引用)
「(この努力は)いうなれば、責任を果たすとか、自己の向上を求めてとか、自然の努力とは異質のものが中心になっていると考えられます。このことは、努力するその働きと、そのうしろのからだ全体の対応との間に、若干のずれがあることが十分に考えられます。いわばこの努力は、どこか頭の上のほうの力によるけん引があって、からだに無理をかけているのかもしれません」(中略)
「また、この努力はやりたくてやる、したがって疲れればやめるという構造ではなく、予定のところまでやる、予定の時間だけやる、という努力が多いものです。予定のところまでということは、順調に進めばそれで良いが、何らかの妨げがあったりしてうまくいかないときには、どうしても無理をするという構造になりがちです。このこともまたどこかで、からだとのギャップがありそうに思えます」
なるほど、なんとなく身体が疲れてきた原因がわかるような気がします。
この「憂うつの心理」は、「うつ」になる人の性格特徴や対策を論じて、実に具体的で的確な本です。(絶版になってしまったのが残念です)
他にも「うつ」に傾きやすい人の特質として、「いろいろの物事にきまりのある秩序好み」「人と争わず、家族や仲間のために尽くす人間関係」「“責”を重んじる傾向」「失敗経験が少なく順調な育ち」「高い自己概念」「享楽性の欠如」などが挙げられています。
神経質性格とうつ的な性格のかたとは、非常によく似て見えながら、微妙に違います。
この本を読むと、うつ的性格のことがよくわかるだけに、神経質との微妙な違いもわかるように思います。
私の感覚ですが、たとえば仕事で過重な任務を割り当てられたとき、神経質者であれば、それが「大変だ」ということがすぐわかると思います。
しかし、職務は職務なので、なんとかこなす。
その「大変さ」と「やらなくてはならない」ということの葛藤が、悩みになるのだと思うのです。
ところが、うつ的性格のかたは、最初の「大変だ」という感覚が湧いてこない。
職務だからこなすのだ、ということ考えがまず湧いてくるのです。
そしてやってしまう。
「この立場にいるのだから、やるのが当然だろう」と思うのです。
それからあとで身体が悲鳴をあげて、うつ状態になる・・・ということがあるのではと思います。
もちろん「うつ」的性格と神経質とが、はっきりと線でも引いたように区別できるわけではないし、神経質でも、頭が先走ってやりすぎて、結果としてうつ的になるということは大いにあります。
しかしとにかく、「からだ全体」と「頭に引っ張られた努力」とのずれが積み重なって疲労し、うつに傾いてゆくということは、よくわかります。
森田正馬の言うような「自然と湧いてくる努力」、つまり仕事すら遊びになってしまうような好奇心、没頭感のようなものを体得するのは、結構むずかしいことなのかなと思ってしまいました。
・・・と言いながら、リマインダーの「ブログを書く」に嬉々としてチェックを入れる私・・・。
そうしたら、「リマインダー」というアプリが入っていました。
毎日の画面が出てきて、そこに箇条書きで「やらなくてはならないこと」が入力できるようになっているのです。
私はいつも符箋などに用事を箇条書きにしているので、これはいいアプリだと思いました。
そこにいろいろな用事を記入し、「今日はあれができた」「これはやり残してしまった」と、リマインダーに「済み」のチェックを入れるのが楽しみになってきました。
それにしても、やらなくてはならない用事って、次から次へ出てくるものですね。
一生懸命用事を書き入れ、チェックを入れることを続けていたら、確かに雑用の片付き方は早くなったのですが、先日、夏風邪をひきました。
なんとまた38度以上の熱が出てダウン。
どうも、疲労している感じがあります。
あんまり必死になって律儀に用事を片付けていたからかしら、とふと思いました。
「憂うつの心理」(外岡豊彦)のなかに、「うつ」に傾きやすい人の特質として、「怠らず努力を続ける生き方」という一項目があります。
この「努力」は身体の奥から湧いてくる、自然と湧いてくる気持ちで行われる努力とは違うと言います。(以下、引用)
「(この努力は)いうなれば、責任を果たすとか、自己の向上を求めてとか、自然の努力とは異質のものが中心になっていると考えられます。このことは、努力するその働きと、そのうしろのからだ全体の対応との間に、若干のずれがあることが十分に考えられます。いわばこの努力は、どこか頭の上のほうの力によるけん引があって、からだに無理をかけているのかもしれません」(中略)
「また、この努力はやりたくてやる、したがって疲れればやめるという構造ではなく、予定のところまでやる、予定の時間だけやる、という努力が多いものです。予定のところまでということは、順調に進めばそれで良いが、何らかの妨げがあったりしてうまくいかないときには、どうしても無理をするという構造になりがちです。このこともまたどこかで、からだとのギャップがありそうに思えます」
なるほど、なんとなく身体が疲れてきた原因がわかるような気がします。
この「憂うつの心理」は、「うつ」になる人の性格特徴や対策を論じて、実に具体的で的確な本です。(絶版になってしまったのが残念です)
他にも「うつ」に傾きやすい人の特質として、「いろいろの物事にきまりのある秩序好み」「人と争わず、家族や仲間のために尽くす人間関係」「“責”を重んじる傾向」「失敗経験が少なく順調な育ち」「高い自己概念」「享楽性の欠如」などが挙げられています。
神経質性格とうつ的な性格のかたとは、非常によく似て見えながら、微妙に違います。
この本を読むと、うつ的性格のことがよくわかるだけに、神経質との微妙な違いもわかるように思います。
私の感覚ですが、たとえば仕事で過重な任務を割り当てられたとき、神経質者であれば、それが「大変だ」ということがすぐわかると思います。
しかし、職務は職務なので、なんとかこなす。
その「大変さ」と「やらなくてはならない」ということの葛藤が、悩みになるのだと思うのです。
ところが、うつ的性格のかたは、最初の「大変だ」という感覚が湧いてこない。
職務だからこなすのだ、ということ考えがまず湧いてくるのです。
そしてやってしまう。
「この立場にいるのだから、やるのが当然だろう」と思うのです。
それからあとで身体が悲鳴をあげて、うつ状態になる・・・ということがあるのではと思います。
もちろん「うつ」的性格と神経質とが、はっきりと線でも引いたように区別できるわけではないし、神経質でも、頭が先走ってやりすぎて、結果としてうつ的になるということは大いにあります。
しかしとにかく、「からだ全体」と「頭に引っ張られた努力」とのずれが積み重なって疲労し、うつに傾いてゆくということは、よくわかります。
森田正馬の言うような「自然と湧いてくる努力」、つまり仕事すら遊びになってしまうような好奇心、没頭感のようなものを体得するのは、結構むずかしいことなのかなと思ってしまいました。
・・・と言いながら、リマインダーの「ブログを書く」に嬉々としてチェックを入れる私・・・。