FC2ブログ

能面のつけかた ~連想

私はお能が好きです。

あまりたくさん鑑賞したわけではありませんが、会場全体に張り詰めるあの緊張感が好きです。

能役者が音もなく舞台に登場してくる瞬間、静止していた役者の身体が動き出す瞬間、あれはまさにスリリングと言ってもいい感覚です。


先日、お能についての市民講座に参加している友人から、いろいろな話を聞きました。

そのなかで、とても印象的だった話。

能面のつけかたです。


役者は面をつけるとき、自分の顔から面のほうに突っ込んでいってはいけない。
顔を動かさず、両手で面の耳を持ち、面を自分の顔に寄せていくのが正しいやりかただそうです。
そうしないと、面に宿っている人間の怨念や情念がつける人にとり憑くというのです。

面をつけるという所作にも作法があるというのは、伝統芸能の深さですが、それにしても面白い。
この話に触発されて、私のなかに様々な連想が湧いてきました。


連想その1.

これはお能そのものではないか。
つける役者を「能」、面を「観衆」とすると、能は決してこちらに強引に何かをアピールしてこない。
(こちらに突っ込んでこない)
しかし、静寂や、静止している間合いなどが、観客を待たせ、じらせ、引き寄せ、ついには能の世界にひきこんでしまう。

そういうありかたの芸術もあるのではないか。


連想その2.

これは心理セラピーの基本ではないか。

これについては、心理カウンセリングを勉強しているかたは、すぐわかると思いますので説明しません。


連想その3.

これは森田療法ではないか。

これを言うと「また、我田引水」と言われそうですが、道元の「正法眼蔵」(禅の教典です)のなかにこんな言葉があります。

「自己をはこびて、萬法を修証するを迷とす、萬法すすみて自己を修証するはさとりなり」(現成公案)


この道元の言葉を読んだときに「あ、これ森田療法」と思いました。
長く学んでいるかたならおわかりでしょうね。


悩みのなかに突っ込んでいって、解決を求めて自分であがけばあがくほど悩みは深くなり、心の迷宮に入ってしまう。
しかし、どこかで自力の努力をあきらめ、自然にゆだねると、そのとき初めて自分に安住できるようになる。

森田療法とはそういうものですよね。


というわけで、能面をつけるということひとつから、本当に様々な連想が湧きました。


伝統として受け継がれてきたことの奥には、豊富な水脈があり、それが私たちを触発してくれるのかもしれません。



             睡蓮
関連記事

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
フリーエリア
    ↑ 悩んでいる人のための森田療法解説書                           
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR