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ダブル・バインドな日本社会と対人恐怖

森田療法家であり、精神分析もなさっていた故・近藤章久先生は、対人恐怖についてこんなふうに言っています。

「日本文化は、そのなかに他者配慮を要求する要素を持っており人に好かれなければならないという側面を持つ。しかし、神経質者は優越への欲求が強い。その優越への欲求と他者配慮の不調和が対人恐怖的心性を生む」(要約)

同音異曲かもしれませんが、この頃、対人恐怖症のかたと多くお会いして、日本社会は「矛盾」というより「ダブル・バインド」の要素が強く、それが多くの若者を苦しめているのではないかと思うようになりました。

「ダブル・バインド」というのは、家族療法家、グレゴリー・ベイトソンが考えた概念です。

ある状況下で
①命令形で、あるメッセージを受け取る。
②そのメッセージと別の次元で(たとえば、身体的表現とか行動とか―メタメッセージと言います)①と全く逆のメッセージを同一の人物から受け取る。
③その状況から抜け出すことができない。

このような状況下にいる人は、動こうにも動けない。
身動きがとれない状況に追い込まれるのです。

これを日本社会の対人関係に置き換えて考えてみると、こうなります。

学校教育では、教師はとにかく生徒に「自由に表現しなさい」「自分の意見を言いなさい」と言う。
米国を見習ってディベートなども授業に取り入れられています。

ところが、日本の社会の底流に脈々と流れているのは、「集団主義」の原理です。
集団のなかには、「調和を乱してはいけない」「周囲と足並みをそろえなくてはならない」「目立ってはいけない」という暗黙の了解があるのです。

これは、「自由に表現しなさい」という命令形の真逆のメッセージです。

このダブル・バインドにひっかかって身動きできなくなるのは、欲求の強い対人恐怖的な人です。

対人恐怖の人は、人一倍、表現欲求が強い。
ところが、人に好かれたいという欲求も強いのです。
そして、社会的な常識とか規範をしっかり自分に取り入れる傾向がある。

ここで、対人恐怖の人は身動きがとれなくなります。

自分を表現したら、他の人にとっては不愉快な感じになるのかもしれない。
そう思うと、表現することもできず、かといって集団に同化したままでいるのにも飽きたらず、どうしていいかわからなくなるのです。

日本的対人恐怖の症状の根底にあるのは、このダブル・バインド的社会なのではないかと私は思うのです。
だからこそ、日本には対人恐怖が多いと言われるのでしょう。

もちろんダブル・バインドだけが対人恐怖の原因ではないけれど、社会の構造というものは、対人恐怖(社会不安障害)には大きな影響があるとは思います。

どの文化圏にも、程度の差はあれ、このようなダブル・バインドはあると思いますが、日本は、急激な近代化、他文化の思想を取り入れるのに性急なためにダブル・バインド的な状況を助長してしまった。

そしてどの症状になるかというのも文化差や個人の価値観の差があるのだと思います。

たとえば赤面とか手の震えなどは「弱さ」の象徴になります。
個人主義のヨーロッパや米国などでは、「弱さ」は忌避すべきものです。
そうすると、赤面や震え、吃音などが症状として多くなることが考えられます。
(赤面恐怖は古くからヨーロッパで知られていました)

(加害的な)視線恐怖症あるいは体臭恐怖症という症状は、日本と韓国にのみ多いと言われています。

視線が他人を傷つけるのではないか、自分の匂いが迷惑をかけるのではないかという考えは、知らずに他人を攻撃してしまうのではないかという恐怖です。
集団に溶け込む、あるいは目上の人を尊重するという文化のなかでは、攻撃性を表現することは致命的なことになります。
ですから、攻撃性の表象になりうる「視線」「臭い」などをコントロールしようとして、それにとらわれるのです。

(注・これはもちろん、その人が弱いとか攻撃的ということではありません。そのような感情を忌避しているということです)

こんなふうに症状の文化差を数的に実証できると、面白いと思いますが・・・規模的に言うと不可能な研究でしょうね。

さて、話を日本に戻します。

日本に特に多い「ひきこもり」の問題は、まさにこのダブル・バインド的社会状況によって引き起こされているのではないのでしょうか。

対人恐怖的なひきこもりの人たちは、大体、小・中・高等学校でドロップ・アウトします。
上記した①と②のメッセージの矛盾をもろに体感してしまう人たちではないかと思います。

もう身動きがとれない。
だから社会から身をひくという手段をとらざるを得ない。

もしそうだとしたら、彼らは自己表現したい、社会に溶け込みたいという欲求をたっぷり持っている人たちだから、それを手がかりに自分を活かしていくということも可能だと思います。

さて、こんなことをツラツラ考えていると、自分の頭のなかから「情報化社会とかネットコミュニケーションの問題もあるだろう」とか「集団主義といっても現在は変質しているのではないのか」という反論も聞こえてきます。

しかし、対人恐怖のかたがたとお会いしている限り、ダブル・バインドという実にシンプルで根源的な問題が見え隠れします。

症状の克服を目指す時には、問題を複雑化してとらえるより、単純にとらえて対処するほうが結局良い結果になるということもあるようにも思います。

集団を大事にする長い固有の伝統と、急激な近代化とのギャップは、文学などでも取り上げられてきた問題ですね。

この日本における集団の問題について考えていくと、結構面白いものがありそうですが、対人恐怖の問題からそれていきますし、今日はこのへんで・・。


            おはじき
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M.Tさま ご感想ありがとうございました。
プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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