実 朝
台風がきています。豪雨の予感
3.11以来、「火」も恐ろしいけれど「水」も恐ろしいものだと実感し始めています。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまえ
これは、源実朝(みなもとさねとも 1192~1219)の歌。
鎌倉幕府の三代目将軍ですね。
これは将軍として神前で詠んだ歌だと思います。
雄々しいです。将軍としての気概が感じられます。
今日は、私の趣味の世界ですが、源実朝の話を・・。
今、私の手元には頁が変色してしまった岩波文庫版「金槐和歌集」があります。
一番好きな詩人はと問われたら、私は迷わず「源実朝」と答えるでしょう。
大学時代の友人が「実朝」を研究していて、彼女の話を聞いて学んだことが実朝を読み始めるきっかけになりました。
時をおいて、何回読んでも、新しい魅力が出てくる。
その歌の世界は、ダイナミックだったり、深遠だったり、心を打つ情感に溢れていたり、青年の初々しさがあったり、虚無的であったり・・・
確かに天才ではあったと思います。
しかし、たかだか20代の青年がなぜここまでの深淵を抱えてしまったのか。
それは彼の置かれていた境遇が関係していると思わざるを得ません。
もちろんご存知でしょうが、実朝は源頼朝と北条政子との間の息子。
兄、頼家は、頼朝亡き後将軍職を継ぎますが追放され、修善寺で暗殺されます。(「修禅寺物語」ですね)
その暗殺を、実母北条政子も容認していたと言われています。
そんななか将軍職についた実朝は12歳。
同族が同族を殺め、血で血を洗う源氏の末裔です。
彼はきっと、どこかの時点で、自分もまた殺されるということを悟ってしまったのだと思うのです。
実母でさえ、政権の存続のためには自分を守らないかもしれない。
物いはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
そんな歌を詠む彼の心のなかには、獣さえも自分の子を愛するのに・・・という悲嘆が感じられます。
彼は歌ばかり作っていたわけではなく、将軍職も立派に果たしますが、反面自分の「暗殺」をいかに免れるかということを考えていた(という説があります)。
暴君であれば、疑わしい人を全員殺しちゃうとかいうことがありそうですが、彼は心優しいので、そんなことはできない。
京都から公家の娘を嫁に迎えたり、とにかく朝廷に官位が上がるように運動したりということもそのためだったのでは、という推測があります。
結局、彼は「右大臣」になります。
それだけ高官位なら、手出しはできなくなるのではという思いもあったのではないでしょうか。
そして極めつけは、宋へ行く船を作らせる。
宋から来た僧侶が、実朝を宋の高僧の生まれ変わりと言ったということで、「宋に渡りたい」と言い出すのです。
しかし、そんなことがうまく行くはずもない。周りが許しません。
船は出帆せず、座礁します。
(ここらへんを題材にとったのが、「実朝出帆」という山崎正和の戯曲ですね)
実朝の絶望は極まります。
もはや彼は「死」を覚悟したでしょう。
そしてその2年後、彼は鶴ケ岡八幡宮で、甥の公暁によって暗殺されます。
満年齢で26歳。
彼の死によって、血にまみれた源氏の正統は断絶します。
世の中は鏡にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず
人は、絶望と孤独に直面して、どんな歌を詠むのか。
次回は、実朝の歌について書きたいと思います。
3.11以来、「火」も恐ろしいけれど「水」も恐ろしいものだと実感し始めています。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨やめたまえ
これは、源実朝(みなもとさねとも 1192~1219)の歌。
鎌倉幕府の三代目将軍ですね。
これは将軍として神前で詠んだ歌だと思います。
雄々しいです。将軍としての気概が感じられます。
今日は、私の趣味の世界ですが、源実朝の話を・・。
今、私の手元には頁が変色してしまった岩波文庫版「金槐和歌集」があります。
一番好きな詩人はと問われたら、私は迷わず「源実朝」と答えるでしょう。
大学時代の友人が「実朝」を研究していて、彼女の話を聞いて学んだことが実朝を読み始めるきっかけになりました。
時をおいて、何回読んでも、新しい魅力が出てくる。
その歌の世界は、ダイナミックだったり、深遠だったり、心を打つ情感に溢れていたり、青年の初々しさがあったり、虚無的であったり・・・
確かに天才ではあったと思います。
しかし、たかだか20代の青年がなぜここまでの深淵を抱えてしまったのか。
それは彼の置かれていた境遇が関係していると思わざるを得ません。
もちろんご存知でしょうが、実朝は源頼朝と北条政子との間の息子。
兄、頼家は、頼朝亡き後将軍職を継ぎますが追放され、修善寺で暗殺されます。(「修禅寺物語」ですね)
その暗殺を、実母北条政子も容認していたと言われています。
そんななか将軍職についた実朝は12歳。
同族が同族を殺め、血で血を洗う源氏の末裔です。
彼はきっと、どこかの時点で、自分もまた殺されるということを悟ってしまったのだと思うのです。
実母でさえ、政権の存続のためには自分を守らないかもしれない。
物いはぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ
そんな歌を詠む彼の心のなかには、獣さえも自分の子を愛するのに・・・という悲嘆が感じられます。
彼は歌ばかり作っていたわけではなく、将軍職も立派に果たしますが、反面自分の「暗殺」をいかに免れるかということを考えていた(という説があります)。
暴君であれば、疑わしい人を全員殺しちゃうとかいうことがありそうですが、彼は心優しいので、そんなことはできない。
京都から公家の娘を嫁に迎えたり、とにかく朝廷に官位が上がるように運動したりということもそのためだったのでは、という推測があります。
結局、彼は「右大臣」になります。
それだけ高官位なら、手出しはできなくなるのではという思いもあったのではないでしょうか。
そして極めつけは、宋へ行く船を作らせる。
宋から来た僧侶が、実朝を宋の高僧の生まれ変わりと言ったということで、「宋に渡りたい」と言い出すのです。
しかし、そんなことがうまく行くはずもない。周りが許しません。
船は出帆せず、座礁します。
(ここらへんを題材にとったのが、「実朝出帆」という山崎正和の戯曲ですね)
実朝の絶望は極まります。
もはや彼は「死」を覚悟したでしょう。
そしてその2年後、彼は鶴ケ岡八幡宮で、甥の公暁によって暗殺されます。
満年齢で26歳。
彼の死によって、血にまみれた源氏の正統は断絶します。
世の中は鏡にうつる影にあれやあるにもあらずなきにもあらず
人は、絶望と孤独に直面して、どんな歌を詠むのか。
次回は、実朝の歌について書きたいと思います。
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