人生の物語
先週、実朝のことを書き終えて、つくづくと、私はさまざまな人の生き方やその心の軌跡に興味があるのだと気づきました。
カウンセリングの間、お話を聴きながら、私はそのかたのこれまで生きてきた人生の軌跡を、伝記のように、自分のなかで思い描いているのだと思います。
私のなかで、それはひとつの物語のようにイメージされているのかもしれません。
そのかたが小さいときから、どんなことを経験し、どんな思いをしながらこれまで生きてこられたのか、今、人生はどんな段階にあるのか、そしてこれからどうなっていくのか。
そのとき、そのかたの思っているものとは全く違うイメージが、私の頭のなかで組み立てられることもあるでしょう。
多分、誰しも、自分の人生の物語というものを持っているのではないでしょうか。
あるいは、カウンセリングという時間のなかで、今までぼんやりとしていた自分の人生の軌跡がはっきりしたものとして姿を現すこともあるのかもしれません。
そして何回も語っているうちに、今まで固く思い込んでいた、自分の思い出や過去の出来事がまったく違う形になっていくこともあるでしょう。
過去の感情をもう一度体験することで、自分のなかに、また違った感情体験が生まれてくることもあります。
親につらく当たられた記憶ばかりが居座っていたのが、どこかに親の「かすかな愛」を見つけることがあるかもしれません。
何の抵抗もなく受け入れていた養育環境が、また別の視点から見直され、問題を発見することもあり得ます。
物語がどんなふうに変わるかはわからない。
決して、必ずすべてが予定調和に導かれるわけでもないし、「こう考えよう」と思って変えられるものではない。
それは自然な成り行きとして、自分の心が変化していくものなのでしょう。
そしてやがて、私たちは自分の未来の物語も語れるようになるかもしれません。
自分の未来は絶望的だとか、このまま変わらず耐えていくだけだと思い描いていたけれど、徐々に希望が見えてくることもあるでしょう。
過去の物語が変わることで、自分の未来の物語も変わっていく。
主人公が変化することで、物語も変化します。
今までは大きな壁の前で敗退することしか思い浮かばなかったのに、もしかしたらその壁は乗り越えられるかもしれないと思えてくる。
あるいは、実は壁などなかったことに気づく。
そんなふうに私たちは、自分の物語を語ることで、少しずつ変化していきます。
そのような物語を聴きながら、私が思い描いているもうひとつの物語は、必ずハッピーエンドでしょう。
なぜなら、自分の物語を語ろうと思いついた、そのこと自体が、そのかたのハッピーエンドへの意志だと、私は思うからです。

カウンセリングの間、お話を聴きながら、私はそのかたのこれまで生きてきた人生の軌跡を、伝記のように、自分のなかで思い描いているのだと思います。
私のなかで、それはひとつの物語のようにイメージされているのかもしれません。
そのかたが小さいときから、どんなことを経験し、どんな思いをしながらこれまで生きてこられたのか、今、人生はどんな段階にあるのか、そしてこれからどうなっていくのか。
そのとき、そのかたの思っているものとは全く違うイメージが、私の頭のなかで組み立てられることもあるでしょう。
多分、誰しも、自分の人生の物語というものを持っているのではないでしょうか。
あるいは、カウンセリングという時間のなかで、今までぼんやりとしていた自分の人生の軌跡がはっきりしたものとして姿を現すこともあるのかもしれません。
そして何回も語っているうちに、今まで固く思い込んでいた、自分の思い出や過去の出来事がまったく違う形になっていくこともあるでしょう。
過去の感情をもう一度体験することで、自分のなかに、また違った感情体験が生まれてくることもあります。
親につらく当たられた記憶ばかりが居座っていたのが、どこかに親の「かすかな愛」を見つけることがあるかもしれません。
何の抵抗もなく受け入れていた養育環境が、また別の視点から見直され、問題を発見することもあり得ます。
物語がどんなふうに変わるかはわからない。
決して、必ずすべてが予定調和に導かれるわけでもないし、「こう考えよう」と思って変えられるものではない。
それは自然な成り行きとして、自分の心が変化していくものなのでしょう。
そしてやがて、私たちは自分の未来の物語も語れるようになるかもしれません。
自分の未来は絶望的だとか、このまま変わらず耐えていくだけだと思い描いていたけれど、徐々に希望が見えてくることもあるでしょう。
過去の物語が変わることで、自分の未来の物語も変わっていく。
主人公が変化することで、物語も変化します。
今までは大きな壁の前で敗退することしか思い浮かばなかったのに、もしかしたらその壁は乗り越えられるかもしれないと思えてくる。
あるいは、実は壁などなかったことに気づく。
そんなふうに私たちは、自分の物語を語ることで、少しずつ変化していきます。
そのような物語を聴きながら、私が思い描いているもうひとつの物語は、必ずハッピーエンドでしょう。
なぜなら、自分の物語を語ろうと思いついた、そのこと自体が、そのかたのハッピーエンドへの意志だと、私は思うからです。

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