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同調社会と主張社会

先日、お花見の後に雅叙園でお茶をしたと書きました。
雅叙園というのはホテルで、結婚式やいろいろなセレモニーのためのホールがあります。

ティールームはオープンスペースで広々としていて、庭の景色も見え、行きかう人々も見え、上階へとつながる長く大きなエスカレーターも見渡せます。
ちょうどその日は、何か所かの会社の入社式があったようです。

皆がざわざわしているのでふと目をやると、そのエスカレーターから下のホールへ行くのでしょうか、新入社員たちが上から降りてくるところでした。
幅の広いエスカレーターにきちんと二列にびっしりと並んで、スーツ姿の青年たちが上から次々と流れてきます。
それがなんと、全員同じような紺色のスーツを着て(リクルートスーツというのでしょうか)地味なネクタイを着け、前を見つめる緊張感溢れるポーズまでまったくそっくりなのです。

こんな風景をコマーシャルで見たことがあるような気がします。同じ顔の同じ姿勢の人間が増殖していく・・・
あるいははるか昔にCMで流行った「ジャパニーズ・サラリーマン♪」というような歌が流れてくるような。

その風景を見て、ティールームのそこここから小さな笑い声があがっていました。
でも青年たちは行進するようにホールに吸い込まれていきます。女性たちもまったく同じ紺のスーツを着ています。

実に日本的な風景だなと思いながら、でももし自分がその一員だったら、違う色のスーツを着る勇気はあるかしらと考えたりもしました。
(まぁ、私は衣服に関してはまったく粗忽者ですから、うっかりドレスコードをはずすということはあり得るかもしれませんが)

あまりに印象的だったので、先日の英会話レッスンで米国人の先生にそのことを話しました。
彼女も日本に来たばかりのときには、高校生たちが皆同じ服を着ているのにものすごくびっくりしたとは言っていました。

きっと意見の言い方にも同じような傾向があるに相違ないという話になり、日本人は、自分の意見を主張し、相手の意向と違うことを言うとき、相手の機嫌を損ねるのではないかと心配になる傾向があるようだという話になりました。

彼女は、日本のホームドラマなどを見ていると、登場人物たちが肝心のことを言うのを避けて沈黙しているように思えて、思わず
「Say it ! Say it ! (言っちゃえ!)」と突っ込みたくなるのだそうな。
米国のホームドラマなどではよく、「あとできちんと話し合おう」と親や夫婦が言っていますね。
忖度がないかわり、言葉が万能の社会です。

当然のことながら、米国では意見を言わないということは「そこにいない」ということと等しくなるらしいのです。

日本ではあまり目立つと風当たりが強くなりそうで、自分の意見が言えるような立場になるまでじっと待つ・・みたいな感じでしょうか。
しかし米国では、何が何でも「stand outする」(目立つ)のが至上の価値。
だから彼女は「私なら好きな色のスーツを着て出席するかもしれない」と言いました。

しかしまた、こんなことも付け加えました。
「でもね、いつもいつもstand out していなければならないのってホントに疲れるのよ」

確かに米国は実力主義の社会で、学歴社会(実は日本よりもっと学歴社会)。
能力は皆違うのですから、たくさんの(いわゆる)負け組が出て当然です。

どちらの文化も一長一短があります。

けれど以前もこのブログで言ったことですが、この日本の同調社会で「自己表現したい」という欲求は抑圧されているわけです。

強い同調志向を持ちながら、同時に強い自己表現欲求を持っている人たちは、その矛盾葛藤のなかで対人恐怖にならざるを得ないのかなと思ったりするのです。

夏紅葉


ひとこと:「主張社会」というのは、私が便宜的に使った造語です。

今年の桜/目黒川

先日、お花見のことを書きました。
他のかたに勧めておいて、自分は何もしないというのもなんですし、先週目黒川へ行ってきました。

いろいろなかたから、目黒川の桜は景観だと聞いていたので初訪問。

東京に住んでいると、いつでも行けると思うせいか、なかなか腰があがらないものです。

さて、その日はかなり曇天で肌寒い日でした。
けれど桜の花は、いくら周りが明るくなくても、花自体がまるで光を湛えているように周りを明るくするのですね。
(スマホ写真ではやはり少し暗めですが)

目黒川は両岸にとにかく桜、桜、桜・・・。

目黒1

目黒2

目黒川添いに、池尻大橋駅から五反田駅のあたりまでずっと桜の樹が植わっています。

今回はウォーキングがてら、池尻大橋駅から目黒駅まで歩きました。

道中には面白い屋台があって、スパークリングワインを売っていたり、こんなお地蔵様があったり。

目黒3

なかなか洒落た道筋でした。
ちょうど満開の頃合だったので、目黒駅の近くの橋から歩いてきた道を眺めるのも壮観。

目黒4

目黒では雅叙園でお茶をしました。

目黒5

目黒駅近辺では、9月に「秋刀魚祭り」というのもあるのだそうな。
これは「目黒の秋刀魚」という落語にちなんだお祭りで、一斉に炭火で秋刀魚を焼いてふるまうのだとか・・・。

近所迷惑な気もしますが。
ちょっと行ってみたい感じもします。

そういえば、こういう季節によく話される落語に「長屋の花見」というのがあります。
あの舞台は上野だったか・・・

考えてみれば、上野は騒がしそうで敬遠してしまって、花見に行ったことはありません。
では来年は上野・・・いや、一生に一度でいいから吉野山の花見にもでかけてみたい・・と、早や来年のことまで考えています。

今回は気楽なブログで。

今年の桜

また桜満開の季節になってきました。
毎年のことながら、気持ちのいい眺めです。(花粉症さえなければ!)

今年はどこに花を眺めに行こうか、考えています。

東京には桜の名所がたくさんあり、住んでいながら意外と行ったことのないところも多いのです。

いつものところではなく、初めて行くところ。
そういう行動を心がけています。
ただ遊びに行くのですから、繰り返しより新しい場所のほうが面白い。

しかしどうも、行ったことのある場所だと安心感があって、繰り返してしまう傾向があります。
この安心だから繰り返すという傾向は、ちょっとくせものです。

安心だから同じことを繰り返して、なかなか新しいことに目が向かない。
冒険ができない、ということだけではなく、繰り返しのなかに浸ってしまって、そこから出ようとしない。
外に出なければ、新しいことには出会わないけれど、何か安定した気持ちでいられる。

こういう気持ちは、神経症やアディクションの基底にあるものではないでしょうか。

神経症やアディクション真っ最中のかたは、いろいろな経験をしていないし、新しい経験に対して臆病というところがありそうです。
もちろん、様々な経験をしているかたもいらっしゃいます。
でも、神経症的な状態になると、あまり動きが無くなる場合が多いようです。

そもそも他のことに好奇心がなくなる。
こんなこともやってみたいとか、あれは楽しいだろうとかいう外に向かう気持ちが薄くなってくるのです。
それよりも、心の底では外の世界に何か怖さのようなものを感じてしまう。

だからアディクションと呼ばれる同じ行為を繰り返し、あるいは強迫的に悩んだまま何年も過ごしてしまう。
きっと、そういう安住傾向を抜け出すには、ほんの少しの新しいことを始めるだけでいいのでしょう。

大抵の人には好奇心というものがあります。

それは、新しいことに触れるたびに活性化されて、どんどんふくらんできます。
そうすれば、元の場所に戻るのがあまりにも味気なく感じられる。

もっともっといろいろなことをしてみたい。いろいろな人に会ってみたい。行ったことのない場所に行ってみたい。

満開の桜に誘われて、どこかへふらりと出かけてみるには良い季節です。
1人だって大丈夫。
周りの人は花を見ているのですから、誰もあなたを見てどうこうは言いません。

さて、今年はどこに行きましょう。
早くしないと葉桜になってしまいます。


今年の桜

視野狭窄と無所住心

またまたブログの間隔が空いてしまいました。

皆様もそうだと思うのですが、今は年度末。
確定申告なども重なり、お忙しい時期だと思います。

私も何やかやと本業以外で忙しく、どうもそういう時期には目の前のこと以外のことは考えられなくなります。
こういうのを「視野狭窄」というのだなと感じました。

しかし「視野狭窄」になるのは、忙しいときだけではありません。
神経症(不安障害)真っ最中のかたは、視野狭窄になっています。
依存症のかたも、依存しているもの以外のことには目が向かなくなります。
うつ状態のときにも、悩み以外の広い世界のことは目に入りません。

つまり自分の見ている対象の外に広がる世界に気づきにくくなっています。

極端なことを言えば、春が来ようが、桜が咲こうが、そんなことは意識の外になってしまいます。
自分の悩みだけ、自分の症状だけ、自分の依存している対象だけが視界にある状態。

なるほど、こんなときのために森田療法の「無所住心」という言葉があるのだなと思いました。

森田療法の作業的な部分を見ると、何か「目の前のことに集中しろ」と言われているような感じがします。
ところがそうではないのです。

「無所住心」というのは、過集中、視野狭窄を避けるための言葉でしょう。

もちろんこれは禅の言葉ですが、森田自身は武術家でもあったので、たとえに武術の例を出しています。

不安定でいることで、四方八方に注意が行きわたる。
たとえば、スポーツをしているとき、チームプレーなどでは特にそうですが、各々の持ち場の選手は、自分のことにだけ集中しているわけにはいかない。
どこからボールがくるかわからないし、自分のチームのメンバーがどういう状態でいるかも把握しなくてはならない。
安心してボーッと立っているわけにはいかないのです。
いつでも心を四方八方に働かせなくてはならない。

それが「無所住心」の状態です。

実は実生活も、そんなものです。
自分のことばかり考えて、他のことをお留守にしていたら、周囲のいろいろなことを見逃したり、感じなかったりします。

人生がひとつのことだけをめぐって展開され、他の広い社会の動きや、本当の自分の立場なども認識できない。
無駄な時間が過ぎてゆきます。

そんなとき、私たちの心は、住処を一つに決めて、そこに安住して動こうとしない状態。
きっと、それ以外の場所はこわいという気持ちもあるのかなと思います。

心はどこにも住まない。
心はどこにも住処を定めず、自由自在に動いて流れていく。

なかなかいい言葉です。


春の樹

思春期はこわれもの

「荒野へ」という本を読みました。
1996年に、ジョン・クラカワ―という人が書いたノンフィクションです。

なぜ読もうと思ったかというと、とある思春期のかたが「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画のことを教えてくれたからです。

ロードムービ―好きの私は早速DVDを見てみました。
2007年の映画で監督はショーン・ペン。
そしてこれが実話だと知り、すぐに原作を読んでみました。

何しろ私は「この物語は事実にもとづいています」という決まり文句にすごく弱い。
すぐに原作本を探して読みたくなります。

この作品の主人公、クリストファー・マッカンドレスは、1992年アラスカの荒野の捨てられたバスのなかで死体となって発見されます。24歳、死因は餓死でした。
彼はその2年前大学を卒業したあと、アメリカ放浪の旅に出ます。所持金を燃やし、車を捨て、ヒッチハイクでアメリカを放浪します。そして目的の地、アラスカで生活することを夢みて、捨てられたバスのなかに住みつきますが、結局生還できずそこで死んでしまいます。

家族は彼が死んで報道されるまで、彼がどこにいたか手がかりもつかめず混乱していました。

この事件は当時、アメリカで大きな話題になったようです。賛否両論があったようです。その事件をとりあげ、登山家のクラカワ―が、クリスの足跡を追ってノンフィクションを書いたという経緯です。

私がこの映画を見、物語を読んで感じたのは、「実に思春期だなぁ」ということ。
クリスは読書家で、トルストイやソローを読み、その思想に心酔していました。
言うまでもなくこの作家たちは皆、理想主義者です。トルストイは自分の財産や印税を疎ましく思い、それを拒否しようとした清貧の人でした。

クリスが最小限のものだけ持って放浪したというのも、そんな理想に共感したからでしょう。
そしてそんな理想を胸に放浪するクリスは、アメリカの圧倒的な自然美を次々と目にし、所有欲とは縁遠い生活をする人たちと出会って影響し、影響されていったのです。

思春期をとうに卒業した人たちは、彼の行動を「無謀」と言い、「家族のことや自分の命を大切にしなかった」「自然を甘く見ていた」と言うでしょう。

しかし思春期とは、そういう時代なのだと私は思います。
何かの「理想」に共鳴したら、それが現実化できるものと思い、それを目指そうとする。

理想とは遠い現実には醜さを感じ、怒りを感じ、なるべくそこから遠ざかろうとする。
クリスも家族に対して怒りを感じていたようです。父親は努力して成功した人でしたが、重婚をしていた時期がありました。

幼年期、そして思春期は、脆さを抱えている時期です。
脳だって、まだ発達途上です。
この時期の情緒的トラウマは、時として精神的な病気の遠因となったりします。(断っておきますが、素質もありますので必ずそうなるというわけではありません)

だからといって、どうすればいいのかということは、簡単には言えません。
しかし、思春期がそういう時代だと知っておくことは、大事なのではないでしょうか。
知性は十分発達しているけれど、経験は少ない。

そんなときに、家庭内の不和や親の過剰な支配、学校でのいじめを経験したら、それはその人の後の人生に大きな刻印となるであろうことは、予想できます。

しかし、思春期は美しく、詩的で新鮮な発想の宝庫でもあります。
キラキラした音楽や詩や芸術が思春期の感性から生まれてきます。
それは脆弱で感じやすい時期だからこそ生まれてくるもの。

そんなふうに美しく、それでいて脆い「こわれもの」の青年たちをしっかり守る環境を私たちは作れているのでしょうか。

クリスは、自分の家庭を嫌って「自然」に抱かれようと放浪した。
でもその自然はNature ではなく Wild(荒野)だったんですね。




プロフィール

Author:岩田 真理
心理セラピストをしています。臨床心理士。
昔は編集者をしていました。

森田療法が専門ですが、ACや親との問題は体験的に深いところで理解できます。
心のことだけでなく、文化、社会、マニアックな話題など、いろいろなことに興味があります。

もしも私のカウンセリングをご希望でしたら、下のアドレスにメールをください。
info@ochanomizu-room.jp

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